ハニー・メモリー
 別に、セックスをしなくてもいいけれど、キスぐらいはしてもいいのではないかしら。はしたないと思われたくなかったが言った。

『あの、結婚する為に、お互いにスキンシップは大切だと思うんです』

『ああ、そうだね。うん、分かったよ。そうしよう』

 レストランとホテルを予約して楽しみに待ちわびたというのに、いざ、待ち合わせ場所に行くと、彼は、真帆に惨酷な言葉を突きつけてきたのである。

『ごめん。色々考えたが、やはり無理だと気付いた。真帆、君は誰よりもいい子だよ。でも、魅力を感じないんだ。一生、満たされないことが分かっている。結婚なんて無理なんだ、だから、別れよう』

『えっ……』

 東堂は、そのまま真帆を置いて立ち去った。オーマイガッ。こんな唐突な幕切れなんて予想していない。

 せめて、一晩、過ごしてから考えてくれてもいいのではありませんかーーー。

 今夜は帰らないと母親にも告げている。哀しいけれど、今夜、ホテルには一人で泊まると決めた。しかし、ディナーを一人で食べるのは虚しい。マスカラが剥げ落ちる勢いで号泣しながら、ネットで検索して食事のパートナーを探したという訳なのだ。

「という事でね、あたしは失恋したの、落ち込んでいるの。一人でいると涙が止まらなくて困っているの」

「あなたの魅力に気付かない男の事なんて、さっさと忘れた方がいいですよ」

「そんなに簡単に忘れられないよ」

「いいえ。忘れられますよ」

 やけに力強い声に引き込まれて顔を上げる。

「だって、真帆さんは素敵だもの」

 まるで、朝陽が射したかのような微笑みだが、その瞳に見つめられると心臓を撫でられたかのような不思議な感覚になる。ふと、拾太郎の中から別人格が浮かび上がったかのような気がしてドキッとなった。

(あらら、この人、以前、どこかで見たような……)

 それにしても、拾太郎は御飯の食べ方が綺麗で行儀がいい。

 何となく、ムーミン谷のスナフキンみたいな独特の雰囲気がある。彼は、澱んだ場の空気を一掃するように爽やかな微笑を湛えながら言った。

「ところで、真帆さんは、今、どういうお仕事をされているんですか?」

「学習塾で働いているわ。大学生の頃はアルバイトの講師をしていたの。今は講師を管理する側になったわ。あなたも社会人だったりする?」

「大学生です。法学部です」

「そうなんだ。君って、見るからにしっかりしてるものね。それにしても、拾太郎君は、なぜ、その名前にしたの? それ、源氏名みたいなものだよね?」

「昔は、家が貧しくて何でも拾って食べる子だったから、そういう名前にしました」

「うっそーー」 

「……ふふっ、冗談です」

「やーだ、信じちゃった」

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