ハニー・メモリー
 その際に、うっかり、前から来た人と肩と肩がぶつかってしまった。すみませんと言いかけた時、洒落た服装の白髪の老人が胸に手を置いたまま俯いた。ドキッ。

 もしかしたら、真帆の革のハンドバッグが胸に当たったのだろうか。心配になり老人の顔を覗き込む。

「ごめんなさい。お怪我はありませんか?」

「いや、君のせいではない。うっ……」

 しかし、老人が胸に針でも突き刺されたように顔を引き攣らせて、全身を硬直させている。

「どうかなさいました?」

 老人がカクンと膝をついて呻いていたのだ。

 手に持っていたジュースのコップが転がっている。

 これき、タピオカミルクティーだ。

 ひょっとしたら、ぶつかった拍子に喉に詰めたのかもしれない。老人は喉元を押さえて悶絶している。お正月に餅を喉に詰めて死にかけた祖父の事を思い出して真っ青になる。あの時は、確か、網戸掃除に使う掃除機で対処したんだっけ。

「お、おじぃさん、しっかりして」

 泣きそうになっている真帆は、どうすればいいのか分からない。

 その背後から伯が言った。

「何かの発作を起こしたのかもしれない。老人が舌を噛まないように注意して見守って下さい。僕は救急車を呼びますから」

 周辺には人だかりが出来ている。老人は胸を押さえたまま動かなくなっていた。意識を消失しているように見える。その時、東堂がスッと割り込んできたのである。

「真帆、ここは僕に任せてくれないか?」

 キリッとした眼差しを向けられると真帆はドキッとなる。東堂はドMの変態かもしれないが、現役の完全無欠のエリート医師なのだ。

 老人に寄り添い冷静に対処しようとしている。

 緊迫した状況で、医師としての手腕を発揮する横顔は、いつにも増して精悍だ。何だが尊い後光が射しているようにも見える。

 傍で静かに見守りながら、泣きそうな声で告げた。

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