ハニー・メモリー
『あたしは、今夜、真帆先生が処女を失うかもしれないって話をしてんだよ! 初めての時って、滅茶苦茶、大変なんだからね! 激痛だよ。そういう瞬間を迎えたら、もう後戻りできないよ。真帆先生、絶対に結婚しちゃうよ。それでもいいのかって話だよ』

 ドンッ。今度は肘で机の天板を叩いた。さすがエリカ様。恫喝はお手の物である。伯は、その勢いに乗せられたのか、何か異様なものが含まれたかのような声で呟いたのだ。

『いい訳ねぇたろ』

 心が逸って、伯は我を忘れている。前のめりになっている。それに対してエリカは満足そうに笑った。

『そうだよね。エリカもそうだよ。だから、いつかは、おじさんに打ち明けようと思ってるの。告白しなくちゃ、伝わらないと思ったの。フラれてもいいから正面からぶつかるつもりなんだ』

『いつかって、いつ?』

『まだ、その次期じゃない。だけど、王子先生は、今すぐ言わないと手遅れになるよ』

 エリカは、そう言うと、何事もなかったかのように数学の問題を解き始めたのだ。

 伯は、授業を終えて、ビルのフロアから人が消えるのを待っていたのだ。そして、今、真帆と向き合っている。

「東堂さんと結婚するつもりんですね……。でも、その前に聞いて下さい。僕は、あなたのことを愛しています」

「あのね、それは前に言ったはすだよ。あたしと君は、年齢が離れ過ぎてるよ。それに、あたしは、ずっと前から東堂さんのことだけが好きだったの」

「それは本当ですか? どこか、無理していませんか?」

 無理なんてしていない。そう言い切りたいが、胸の底には何かが澱んだように渦巻いている。

(そうね。確かに、迷いはあるわ)

 何となく後ろめたい気持ちで曖昧な表情を浮かべていると、急に伯が背後から抱きついてきた。その勢いに、たじろいだ。

「なっ、何をするのよ……」

 真帆はキッと奥歯を噛み締めて強く踏ん張った。柔道の技には自信があった。こんなの、すぐに振りほどける。

 黒帯の底力を舐めないで欲しい。過去、夜道で痴漢に遭遇した時も背負い投げにして、やり返している。こんなの造作も無いと思い込んでいたのに、なぜか逃れられなかった。

 強い。身体を逸らそうともがくが、生憎、逃げる隙が一ミリもなかった。伯の気迫を感じる。押し寄せる熱量に驚いていると、真帆の耳元で彼が囁いた。

「僕も、中学と高校時代に柔道を習っていたんですよ。憧れの人が柔道の達人だったから、あの人のようになりたいと思っていたら強くなっていました」

 いつもの彼じゃない。いつもは、もっと軽やかで、年上の真帆をからかうような余裕がある。

< 71 / 125 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop