ハニー・メモリー
 真帆の父親は警備会社に有力なコネがあったので、伯の父に仕事を紹介した。元々、伯の父は中華料理店を営んでおり、調理師の免許を持っていたので、警備会社の社員食堂で働くことになったのだ。

「あなたが父を救った翌週はバレンタインデーでした。僕は、あなたからガトーショコラをもらいました」

 毎年、真帆はチコレート菓子を作っている。代好きな先輩に渡す為に、何度も試作品を作っており、それをクラスメイト達に配ったりしていた。

 多分、その時の余りを伯に渡したのだろう。

 伯の父が就職するまでの間は、彼等は生活保護に頼って暮らしたという。

「四月になると、父は警備会社で正社員として働き始めました。僕達は、あなたの住む街から離れたアパートに引越し越しました。それで、前のように会えなくなりました。でも、僕、おこずかいを貯めて、あなたの姿を見にあなたの学校の文化祭に出かけていたんですよ」

 すべてを打ち明けた伯は、所在なさげに微笑んだ。急所をつかまれたような揺らぎを見せている。

「あの時の男子だったんだね。うん、なんか思い出してきた」

 細かい出来事はすっかり忘れていたけれども、ガリカリに痩せた男の子の情けない顔を思い出していた。

 子供だった頃の伯の澄んだ瞳は覚えている。言い方は悪いけれど、見るからに小汚い服装をしていた。小さな子供が父親と共に公園で暮らしていると知った時には胸が痛んだ。

 あの時の伯は誰かに庇護を求めることさえ出来ないような幼い子供だった。それなのに、すっかり大人になっている。可愛かった顔つきも、チビでガリガリだった体型も変化してる。

 再会しても真帆が分からないのは当たり前。

 伯は、寂しさと哀しさを凝縮したような表情をしている。彼は、溢れる想いを込めながら告げている。

「再会した時、僕は、すぐにあなただと分かりましたよ」

 急に、顔が近付いてきたので喉を鳴らした。

「いや、やっ……」

 そんな顔で見ないで。駄目と言いたいのに、頭がぼやけて声が出ない。ゾクゾクしたものが身体を支配していて、透明な包帯で身体を固定されたかのような感覚に覆われている。伯に見つめられると心がザワザワと騒ぎ出す。

「あの頃のあなたは美しい陶器のように一点の曇りもなかった。強くて美しくて眩くて、すべで輝いていました。再会した時のあなたは劣等感の塊になっていました。でも、やっぱり、僕は、あなたを好きにならずにはいられません」

 ああ、不思議だ。谷底に浮遊しながらも落下しているような眩暈を感じた。もしかして、このまま伯に処女を奪われてしまうのだろうか。いや、そんなのことはさせない。

 真帆はグイッと伯の胸を突き飛ばすと立ち上がって叫んだ。

「勝手に理想を押し付けてこんな事をされて迷惑よ!」

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