ハニー・メモリー
6
アパートの二階の角部屋にインターフォンはない。ドンドンとドアを開くと、ぼんやりとした顔つきの伯が出てきた。ハッとなる。憔悴している。長い時間、泣いていたように見える。

 そうだ。やっぱりそうなんだ。玄関先までお線香の臭いが漂っている。暗い室内の奥にある骨壷と位牌に気付いた。

 ああ、なんてことなんだ。真帆の胸がギリリと鋭く痛んだ。

 リビングに入ると、彼は、沈痛な面持ちでポツンと告げた。

「父が亡くなりました。葬儀は終えています」

「そ、そんな……。どうして、あたしに教えてくれなかったの!」

「……すみません。だって、あの夜、あなたを怒らせてしまったから」

 俯いたまま伯が真帆の肩にすがりついてきた。彼は、俯いたまま嗚咽していた。完全に打ちのめされている。こんなにも哀しげな様子を見ていると、真帆も自然にポロポロと泣けてきた。

 真帆は正面から伯を抱きしめて一緒に泣いた。そして、伯の柔らかな髪を撫でながら言う。

「君は、お父さんのことがすごく好きだったんだね。もしかして、何も食べていないんじゃないの」

「はい……。この三日間、ほとんど食べてません」

 築年数は古そうだが、2kの部屋は整理整頓されている。彼は、ずっと父親とここで暮らしていたのだ。

 この部屋には孤独と哀しみが凝縮されている。何かの弾みで伯の心は砕けてしまうのではないか。そんな気持ちになり、真帆は喉が締め付けられていく。少しでも、伯の支えになりたい。

「ねぇ、ちょっと待っててね」

 真帆 冷蔵庫を開くと伯の為に料理を作った。多分、そんなに食欲はないだろう。白菜と人参を刻んで作ったお粥を器に入れて差し出すと、泣き疲れたような顔で残さずに食べてくれたので、少しホッとした。

 ごちそうさまと告げた後で、落とし込むような低い声で語り出したのである。

「ずっと、あの夜の事が頭にこびりついているんです」
 
「どの夜?」

 そっと尋ねると、遠い眼差しになり、魂が抜けたような声で打ち明けた。

「父が殴られた哀しい夜の匂いや、父の呻き声が鮮明に頭にこびりついています。真帆さんと出会っていなれば、きっと親父と僕は死んでいました。父が、不良にお金を盗まれそうになった日、ありったけのお金を僕に見せて、今夜は焼き肉を食べようと言ったんです」
 
 苦しそうに痛みをこらえているような表情でこめかみを押さえている。彼の背中が震えている。心の底に押し込めていた記憶を強引に引き出すような面持ちで呟いている。

「満腹になったら、僕と心中するつもりなんだと気付いていました。僕も、父と一緒に死ぬ覚悟をしていたんです」

 その夜、伯の父親は太い縄を用意していた。息子の首を締めてから自分も首を吊るつもりだったのだ。 

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