漢字クラブ
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漢字検定準一級に合格したという、アイ子先生の授業は面白かった。
漢字嫌いだった私は、アイ子先生に覚え方を教えてもらってからは、漢字が好きになった。
「先生、チミモウリョウの覚え方を教えてください」
「一見、難しそうだけど、覚えちゃうととても簡単。魑魅魍魎の部首は?」
「……鬼?」
「当たり! あとは右側の四つを覚えればいいから、ドレミの歌にして覚えましょう。♪チは離の左~、ミは未来の未~、モウは網の右~、リョウは旧字体の兩~、さあ、覚えましょう~」
こんな感じです。
前回の復習として出題されるクイズ形式のテストが楽しみだった。
私は毎回、百点満点を狙っていた。
そんなある日、アイ子先生からメールがあった。
→今日は急用で行けませんので、メールで出題します。
【1】穴埋め共通漢字! ○に入る共通の漢字は?
酒○肉林、金城湯○、○魚之殃
【2】なぞなぞ!
ツノが一本生えると、赤くなる漢字はなーんだ?
【3】文字並べ替え! 次の文字を並べ替えて四字熟語にしてちょーだい。
シチュウロクジ
【4】穴埋め共通漢字! ○に入る共通の漢字は?
新○軸、不○嫌、有○物
【5】共通漢字! 次の植物に共通する漢字は?
ヒヤシンス、カキツバタ、サンザシ
【6】穴埋め漢字! 次のことわざの○に入る動物は?
捕らぬ○の皮算用、虎の威を借る○、窮鼠○を噛む
【7】共通漢字! 共通の漢字は?
リンドウ、リュウズ、モグラ
【8】文字並べ替え! 次の文字を並べ替えて四字熟語にしてちょーだい。
キンテツケショウ
【9】読み! 次の植物の読みは?
女郎花、馬酔木、万年青
【10】当て字! SFと略される都市は次のどれ?
桑港、牛津、寿府
私は分かるのから順に解いて、返信した。
→速かったね。着実に成果が出てるよ~(^-^)vこの調子でガンバレ! 採点結果は会った時にね。楽しみに~(^-^)
私は結果が楽しみだった。
不得手だった漢字が上達している私に、クラスメートもびっくりしていた。
「美恵、スゴいじゃない。秘訣は何?」
「アイ子先生」
「アイ子先生って誰?」
「教えない。教えたら盗られちゃうもん。……とにかく、楽しいんだ」
私はアイ子先生と初めて会った時のことを思い出した。
あれは、二ヶ月ほど前のことだった。学校から帰ると、〔漢字専門家庭教師 メールでも学べます! 苦手な漢字が好きになりますよ~♪〕と書かれた手書きのチラシが郵便受けにあった。
私は、“苦手な漢字が好きになりますよ~♪”のキャッチフレーズに惹かれた。
早速、問い合わせ先に、月謝はいくらかメールをしてみた。すると、すぐに返事がきた。母に話すと快諾してくれた。
アイ子先生は小柄だけど、スタイルがよくて、キレイな人だった。
そして、教え方も上手だった。まず、好きなアイドルの名前で興味を持たせた。
最初の頃は、なぞなぞやクロスワードなどのクイズ形式だったので、ゲーム感覚で覚えることができた。
「99歳のお祝いのことを“白寿”と言うのはなぜ?」
「うむ……みんな白髪になるから?」
「ふふふ。面白いけど、残念。99は100より一つ少いでしょ? 百から一画取ると?」
「……白」
「そう。だから、白寿」
「へー、ちゃんと意味があるんだ」
「そう。言葉にはすべて意味があるのよ。じゃ、90歳のお祝いを“卒寿”と言うのはなぜか、考えてみて」
こんな具合に、学校では教えてくれない雑学も学べた。
その日は、アイ子先生が来る日なので、前回の採点結果が楽しみだった。
ところが、その日もまたメールだった。
→美恵ぴょん、ごめん。もう一つの仕事が忙しくなっちゃって、当分会えそうもないの。後でメールで出題するから頑張って。前回の結果発表! なななんと、100点! おめでとう♪さすが、一押しの我が教え子d(^-^)志望校合格間違いなし(^-^)v
[前回の答え]
【1】池【2】皿【3】四六時中【4】機【5】子【6】狸、狐、猫【7】竜【8】起承転結【9】おみなえし、あせび/あしび、おもと【10】桑港(サンフランシスコ)
「ヤッター!」
アイ子先生に会えないのは寂しいけど、テストが満点だったことや、“一押しの我が教え子”って書いてくれたことが私は嬉しかった。
そして、次の出題を楽しみに待った。
ところが、いつまで経ってもアイ子先生からメールが来なかった。
何があったのだろうと不安になり、私はメールをしてみた。
←アイ子先生、何かあったんですか? メールが来ないので心配しています(..)
しかし、夜になってもアイ子先生からの返信はなかった。
不安が募り、結局、電話をした。だが、留守電になっていた。
「美恵です。……先生、どうしたんですか? 何かあったんですか? 心配してます。絶対、返事をください」
何か大変なことが起きたに違いない。
「……アイ子先生」
私は先生の名を呟きながら、何事もないことを祈った。
しかし、翌日も、その次の日も、アイ子先生からの連絡はなかった。
笑顔が消えていくのを自分でも感じていた。
アイ子先生から手紙が届いたのは、それから数日後だった。ただ事ではないことを直感すると、開封する指が震えた。
〈美恵ちゃん、連絡できなくてごめんね。ずっと、美恵ちゃんの先生を続けたかったけど、できなくなっちゃった。
でも、美恵ちゃんなら大丈夫。漢検二級合格、間違いない。私が保証します。
私は今、病院のベッドでこれを書いています。この手紙が美恵ちゃんに届く頃には、私はこの世にいません〉
私はあまりの衝撃に、呼吸が止まった。
〈告知されたのは三年前。でも、三年も生きられたお陰で、美恵ちゃんに会うことができた。神様に感謝しています。
美恵ちゃんは、唯一の可愛い私の教え子。だって、チラシのメアドにメールくれたの美恵ちゃんだけだもの。
だから、美恵ちゃんは私だけの大切な教え子。最高にチャーミングで、最高の優等生。
美恵ちゃん、ご両親を大切にね。お父さんとお母さんがいたから、美恵ちゃんがこの世に存在したの。つまり、私が美恵ちゃんに会えたのは、ご両親のお陰なの。
最後に美恵ちゃんにお願いがあります。漢字が苦手な子供たちに漢字の面白味を教えてあげてください。
美恵ちゃんがお手本です。苦手な漢字を得意に変えた模範生ですから。
私の大好きな美恵ぴょんへ 上田愛子より〉
私は号泣した。涙は止めどなく溢れた。
アイ子先生は痩せていたけど、まさか、病気だなんて考えもしなかった。いつも明るくて、ダジャレで笑わせてくれたりして、優しい人だった。
もう二度とアイ子先生に会えない、もう二度と出題メールは来ない。……そんなの嘘だ!
私は現実を受け入れることができなかった。
でも、アイ子先生の気持ちを無にしてはいけない。私は心を強くすると、検定試験に向けて猛勉強した。
六月。私は漢検二級に挑んだ。
そして、ひと月後、私の元に合格通知が届いた。それはまた、国語の先生になろうと決めた瞬間でもあった。――