祖国から追い出されたはずが、過保護な皇帝陛下と海の国で幸せな第二の人生を送っています─嫌われ薬師の恋と調薬─
 

 朝、窓を開けば、うっすら潮の香りがした。


 私の部屋から遥か遠く、国の果ての渚の香り。

 陽光に照らされきらきらと輝いているだろう波間は、暗くか細い流線にしか見えない。

 しばらく眺めて、私は窓から身を離す。クローゼットから選ぶのは黒織物のドレスだ。

 身支度を整え部屋を出る。

 変化のない一日の始まり。


 朝の回廊は、香ばしい炭の香りと酸っぱい臭いが広がっている。

 木酢液と、石鹸を混ぜた液で窓を拭いているのだろう。

 見当をつけていると、やはり長い回廊を進んだ先で、侍女たちが掃除をしていた。

 彼女たちは私を見るなりさっと俯(うつむ)く。


 しかし新入りらしい少女がひとりだけ不思議そうに顔を上げている。

 家族以外と目が合うなんて、何年ぶりだろう。

 私を見つめる少女は僅かに口を開く。

「やめなさいっ」


 声を発する前に、他の侍女が止めた。

 私は立ち止まることなく廊下を進んでいく。


「今の御方、リナリア第一王女様ではないのですか? 挨拶なしに不敬では──」

 後ろから声が聞こえてきた。

「そうだけど、あの方と関わってはいけないのよ。毒殺の話を聞いてないの!?」

「毒殺!?」

 新人らしい侍女が声をあげ、「しっ」と慌てて注意される。


『王国ローレライの王女、リナリア・ローレライは、両親を毒殺した残酷王女』


 両親が亡くなった八年ほど前から、王宮、ひいては王都を問わず、ローレライで広がった噂だ。

 親だけでなく実の兄や妹を殺そうとしているのではないか。

 王女に付いていれば、毒殺の共謀を強いられるのではないか。

 噂や憶測は留まることを知らず、私に付いていた侍従は少しずつ去っていき、今はひとりもいない。

 縁談もなく腫れもののようにして、周囲は私に関わらないよう努めている。

 でも、私は両親のことが大好きだった。殺してない。

 両親を殺したのは流行病だ。

 なのに皆、おとぎ話の魔法のように、私が毒殺したといって疑わない。

 毒殺の確たる証拠はないが、毒殺していなかった証拠も出せない。

 流行病と診断した医者ですら、「見せかけた可能性もある」と証言した。

 
 そんな私に、誰も近づかない。

 十八歳になった今もなお、噂は色濃く残っている。



 でも──みんなが私に近づかないことで、できることもあった。
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