祖国から追い出されたはずが、過保護な皇帝陛下と海の国で幸せな第二の人生を送っています─嫌われ薬師の恋と調薬─
 ローブを纏った男の人が、店の軒先にある木箱の上に飛び乗った。


「火元がわからないなら、臭いや煙の少ない場所か、水のある所へ逃げるんだ! ほら、そこの強そうな君、お年寄りや子どもを手伝ってあげて。そこの声がよく通りそうなお嬢さんは、火事だと知らせながら逃げるんだ。ほら、急いで!」

 ぱちん、と男の人が手を叩くと、それまで混乱していた周囲の人たちがハッとして、逃げ始める。声をかけたり、人を手伝いながら。

 あっという間に街の空気を変えてしまったローブの男の人は、さっき声をかけてきてくれた彼だった。

「あれ? 君はさっきの……」

 彼はその場に立ち尽くす私を見つけると、木箱から軽々と飛び降りた。

「運命的な再会を祝福したいところだけど、君も逃げなきゃ駄目だよ」

「は、はい。すみません」

 私は頭を下げ、骨董屋へ走り出す──が、すぐに彼に肩を掴まれた。

「待ちなよ。どこ行くつもり? 川辺はあっちだよ」

 彼は川辺への道を示す。でも私は、しなければならないことがあるのだ。

「すみません。どうしても、用が」

「馬鹿言わないでよ。身の安全を確保するのが先でしょ?」

「ち、違うんです。あ、あの、骨董屋から、火事の臭いがしたんです。パン屋や鍛冶屋では、しませんでした。だから念のため、確認に」

「臭いって、犬じゃないんだから。それに、人間の嗅覚なんてたかが知れてるし」

 男の人は怪訝(げん)な顔をした。でも、万が一を考えると、怖い。

「はい。あの、臭いなので、確証はないんです。でも、今まで臭いや香りに関することで、間違えたこと、私の覚えてる限りでは、な、ないんです」

 私は間違ってばかりいる。兄や妹の機嫌はすぐ損ねてしまう。自分の噂も払拭できない。でも、香りの嗅ぎ分けだけは、今のところ失敗がなかった。

「……臭い、ねぇ」

 男の人は私を見据え、顔をしかめる。ややあって、私の手を掴んだ。

 そのまま、男の人が私の手を引いて駆け出す。

「方向はこっちでいいんだよね?」

「し、信じてくださるのですか」

「一応ね」

「ありがとうございます──えっ」

 ふわりと、つま先とかかとが空気や風に押される感覚がした。

< 7 / 12 >

この作品をシェア

pagetop