雪降る夜はあなたに会いたい 【上】
玄関先で、仕事に向かう母に口を開いた。
「今度の土日なんだけど、友達と旅行、してくるね」
大丈夫だろうか。顔をは引きつっていないだろうか。口調は自然だっただろうか――。
緊張をひた隠しにして、母にそう告げる。
「旅行? 大学のお友だち?」
「そ、そうなの。友達のお宅の関係で、安くで泊まらせてもらえるホテルがあるって話になって。それで、思い切って行こうかなって」
不自然なほどに明るく喋る自分がいる。
創介さんといるようになって、嘘は何度かついてきた。でも、やっぱり慣れない。
「いいわね。行ってらっしゃいよ」
母が優しく笑うから、その分胸が痛む。
「大学生なら友達と旅行なんて普通に行くだろうに。雪野はこれまでそんなことなかったもんね……。楽しんで来なさい」
「ありがとう」
目尻の皺が増えた目を真っ直ぐには見られなくて、すぐに逸らした。
そんな優しい母に嘘をついても、私は創介さんに会いたいのだ。
ごめんね、お母さん――。
「じゃあ、お母さん、仕事行って来るね」
「うん、行ってらっしゃい」
母は、清掃のパートを何年も続けている。
オフィスビルの清掃は朝が早い。その仕事を終えたら、近所の惣菜屋へと向かう。昼からはそこで働いていた。
そろそろ体力的にも厳しくなってくるだろうに、母はいつも元気に仕事に出かけて行く。
その背中を見送った。
あと少し。卒業して、楽をさせてあげたい――。
「姉ちゃんか……」
「おはよう」
母のいなくなった玄関で突っ立っていると、弟が自分の部屋から出て来た。
大学一年になった優太は国立大学に入学し、アルバイトにも励んでいる。我が弟ながら、一目置いている。悔しいから、本人には言わないけれど。
「朝ごはん食べる?」
「ああ、いいよ。自分でテキトーに食べるから」
寝ぐせのついた頭を掻きながら、優太が居間として使っている6畳の和室に入って行った。
3Kの団地には、余分な部屋などない。四畳半の和室二つを、私と優太で使わせてもらっているから、この六畳の居間は母の寝る部屋とも兼ねている。
私もあと三か月もすれば大学を卒業して就職する。そうすれば、もう少し広い部屋に移れそうだ。
弟に続いて和室に向かうと、座卓の上に見慣れない雑誌が置かれていた。
――週刊経済。
「これ、優太の?」
「ああ、まあね」
何気なく手に取ると、弟が少し偉そうに説明してくれた。
「俺も経済学部だし? 今からちゃんと世の中のこととか知っていないとね。就職の時に失敗したくないしな」
「へぇ……。優太も今からちゃんと勉強してるんだ」
パラパラと見てみる。
いろんな企業の新規事業や、日本の経済動向、そんなような記事がいろいろと掲載されていた。経済は私の専門分野ではないけれど、その中のいくつかは私でも知っている企業名だったりした。
「当たり前だろ。遊んでばかりいる大学生と一緒にするなよ」
「はいはい――」
あるページのところで手が止まる。
『丸菱グループ、躍進する未来の担い手』
それは、様々な企業の将来を担う人材を紹介する特集ページだった。
その一番最初に取り上げられていたのが『丸菱グループ』で、私がずっと想い続けて来た人だった。