雪降る夜はあなたに会いたい 【上】
「……戸川さんってさ、本当に気遣いの人だよね。でも、戸川さんは無意識だから、自分では全然そんなつもりはないんだろうな」
目を細め、突然そんなことを言い出した。
「そんなことない――」
「今だって。どうして家を出たのか触れないようにした。たぶん、少し先回りして人に嫌な気分にさせないようにって考えてる」
なんと答えればよいのか次の言葉を選んでいると、榊君が私を覗き込んで来た。
「今日に限らず、この一か月でそうなんだろうなって分かって来た」
「ただ、いろいろ考え過ぎるだけだよ。そんないいものじゃ――」
「他人だからこそ分かるんじゃないかな? 僕は戸川さんになら、何でも話してしまいそうだし。そういう、人を癒す雰囲気を持っている人なんだよ」
ふっと笑って、榊君は再び扉に身体を預けた。
「僕ね、逃げるように家を出ちゃったんだ。母親を残して」
その目は、ほとんど輪郭のはっきりしない夜の景色に向けられている。横顔だから、どんな表情をしているのかははっきりとは分からない。
「母は少し精神を病んでいてね。母を救うために二人で家を出ようとしたけど、結局僕では何もできなかった。それで、何もかも嫌になってさ。一人逃げ出して楽になろうなんて、酷い人間だろ? 母が頼れるのは僕だけだったのに」
どうして突然、そんなことを私に話したのか――。
その声が怖いほどに静かで、余計に痛みを感じた。
だから、つい言葉を零してしまっていた。
「詳しい事情は分からないけど……榊君は本当に逃げ出そうだなんて思っていないんじゃない?」
「え……?」
窓の向こうのどことも分からない方に向けられていた視線が、私の方へと移る。
「一人になった今でも、結局、こうやってお母さんのこと考えて悩んでる」
きっと、本当は逃げたいわけじゃない。だから苦しむ。
私にはそう思えた。
「人が誰かのために出来ることって、ほとんどないんだと思う。それでも、割り切れずに悩んで考えちゃうのは、その人が大切だからだよ。その思いは、必ず伝わる日が来る。榊君の存在でお母さんが救われる時が来る」
母親を思って胸を痛めている。親子の縁は距離で切れるものじゃない。
「いつか、本当にお母さんを救える日が来るといいね。来てほしいな」
榊君が瞬きもせず強い眼差しで私を見ていた。その視線に自分の言ったことが改めて蘇る。
「――って、勝手なことを言ってるよね。何も知らないのに、ごめん」
何を知っているわけでもないのに、無責任なことを言ってしまった。
「……う、ううん。そんなことないよ。そんなことない」
その声は少し震えている。
「ありがとう……」
噛みしめるような言い方が、何故かずっと胸に残った。