雪降る夜はあなたに会いたい 【上】
その帰り、いつものように雪野の住む家の敷地から少し離れたところで車を停めた。何故か、雪野はいつもここを指定する。
自分の住んでいる家を見られたくないのだろうか。雪野が望むようにしようと、いつもそこで車を停める。
一度だけ、雪野の後をつけたことがあった。その時、古びた建物の最上階まで登って行く姿をこっそり見送ったのだ。
「……送ってくれてありがとうございます。創介さんまだ濡れてるから、早く帰って着替えてください」
不安そうな顔をして頭を下げる雪野を見ていると、またも胸が疼く。
この日の俺のせいで、またそんな顔をさせているんだろうな――。
そう心で思いながら、雪野の頬に触れた。
「分かってる。おまえも風邪ひくから、早く行け」
「はい」
うまく優しい言葉をかけてやれない分、こうしてつい雪野に触れてしまう。
車から降りて自分の家へと向かう雪野の姿が完全に見えなくなる。
すぐに発進する気になれなくて、深くシートにもたれた。シートを少し倒し、額に腕を載せた。
目を閉じても浮かんでくるのは、いつも遠慮がちな表情ばかりしている雪野の顔。
一度も、好きだとも愛しているとも口にしたことはない。それでいて、手放してやることも出来ない。
目を閉じても瞼の裏で感じる、ちかちかと点滅する街灯。
「本当に俺は、無力で弱い男だな……」
この日、父に言われた言葉がただ自分を押し潰す。成人を過ぎたいい大人だというのに、どうすることも出来ない自分が情けなくて惨めになる。
これまで、何度も雪野に想いを告げようとした。結局、この三年の間、そうすることが出来なかった。
自分の背負う現実を思えば思うほど、そんな自分といることで雪野に与える苦労を考える。
それに、雪野から俺への気持ちを聞いたことがない。
雪野は俺のことをどう思っているのか。雪野から会いたいと言うこともない。怖くて聞くこともできずにいる。とんだ臆病者だ。
でも結局、俺自身が諦めきれていないのだ。
どうしたら雪野を守れる?
どうしたら、雪野との未来を描ける?
その両方を成り立たせる方法が、虚しいほどに思い浮かばない。
儚く笑う雪野の優しい笑顔が、淡い雪にかすんで行く。
見合いが予定されている日曜日が刻々と迫る中、父が早くも動いて来た。
定期的に行われている経済界の集まりに、見合い相手を連れて来ていたのだ。まだ正式な見合いもしていないのに、周囲に榊の嫁になる人だと言わんばかりの行動。
突然見合い相手を突き出し、俺に何も言わせない。視線で「他の選択肢はない」と訴えて来る。
見合いを拒否すれば雪野が酷い目に遭う。
いっそのこと、どこかにかくまうか――?
だめだ、そんなこと出来るわけがない。雪野には自分の家があり家族があり生活がある。
見合い相手の宮川凛子。代々、大物政治家を輩出している名門宮川家の一人娘だ。現政府の閣僚で次期総理最有力候補を父に持つ。
そんな娘との縁談を、こちらから断るようなことをすれば――。
考えるまでもない。堂々巡りだ。もうずっと、同じ場所をぐるぐる回っている。