神殺しのクロノスタシスⅤ〜前編〜
まさか…。

まさか、物を送りつけてくるに留まらず。

自ら聖魔騎士団に足を運んでくるとは。

非常に積極的な方であると言わざるを得ませんね。

「うん…?誰だ?」

人魚姫さんのことを、全然ご存知ではないアトラスさん。

ラブレターを送り、マフラーまで贈ったのに、存在を覚えられていない人魚姫さん。

しかし人魚姫さんは、そんなことは全く気づいていない、と言うか…気にしていない風で。

嬉しそうに、アトラスさんのもとに駆け寄ってきた。

「あぁ、アトラス様…。ご機嫌麗しゅうございます」

ちょ、ちょっと。何だか、距離が近過ぎませんか?

もう少し離れてください。

「…??魔導部隊の誰かか?」

きょとん、と首を傾げるアトラスさん。

やっぱりご存知ないんですね。良かった。

「わたくし、人魚姫ですわ。アトラス様」

と、嬉しそうに名乗る人魚姫さん。

「…人魚…?」

何かの隠語か、それともあだ名かと、やっぱり首を傾げているアトラスさん。

違うんですよ。あだ名ではなく、この人は本当に人魚姫なんだそうです。

普通に二足歩行してますけどね。

しかし人魚姫さんは、そのようなことは全く気にせず。

「あぁ、アトラス様。今日も素敵…!」

アトラスさんにすり寄るように寄り添って、そっとアトラスさんの腕に抱きついていた。

ちょ、ちょ、ちょっとちょっと。

正妻の前で、そんなことをしますか。

挑発を通り越して、それはもう誘惑です。

そういうことは、せめて、私のいないところで…。

…いえ、私のいないところでこんなことをされたら、それはもっと嫌ですね。

これには、さすがのアトラスさんも、何かを意識するのではないかと思ったが。

「…?俺はこれから、訓練場にこれを返しに行かないとならないんだ。ちょっと離れてくれ」

アトラスさんの鈍感さに、これほど救われる日が来るとは。

嬉しくて涙が出そうですね。

さすがに、さすがに人魚姫さんも、これには挫けるかと思われた。

が。

「うふふ、ごめんなさい、アトラス様。アトラス様を見ると、わたくしったらつい歯止めが効かなくて…」

人魚姫さんは、てへへ、とばかりに微笑んでいた。

この人も…へこたれませんね。

タフですね。

自分が拒絶されている、とは思わないのでしょうか。

まぁアトラスさんも、あまりハッキリと「お前に好意はない」とは言いませんから…。

そもそも、自分が好意を寄せられていることに気づいていませんから。

何だかお互い空回りしているようで…傍から見ている分には、滑稽なんですけど…。

この空回りが、いつか突然、噛み合うときが来てしまったらと思うと。

私としては、心穏やかではいられませんね。
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