神殺しのクロノスタシスⅤ〜前編〜
こうなっては、最早背に腹は代えられない。

三十六計逃げるに如かずと、昔の偉い人も言っていた。

俺はくるりと踵を返し、全速力で走り出した。

…の、だが。

「へぶっ!!」

同じく走り出そうとしていたシルナが、僅か二歩目で足をもつれさせ、転倒。

足元が覚束ない歳になったか、シルナ。

シルナを人身御供としてここに放置し、俺だけ逃げることも考えた。

あるいは、いっそのこと俺もぶっ倒れて、死体の振りをしてやり過ごそうか、とも。

が、それらの作戦は、どちらも破棄した。

シルナがネズミに食べられたら、何だか後味の悪いことになりそうだし。

死んだ振りなんかしたら、むしろ、大人しくなったと喜んで、美味しく食べられそう。

シルナは多分不味いから、食べることはおすすめしないぞ。

…となれば。

「…さっさと来い!馬鹿シルナ!」

「あばばばば」

奇声をあげるシルナを、俺は強引に引き摺って逃げた。

無駄に重いぞ、こいつ。チョコ食い過ぎだろ。

このデブ学院長め。

「は、は、羽久が、私に、しつれっ…失礼なことを、考えてる、気がするけど、今はそれどころじゃないよ〜っ!」

「アホなこと言ってないで、自分の足で走れ!」

「ふぇぇぇぇぇ。ネズミに食べられる〜っ!!」

情けない悲鳴をあげるシルナを引き摺るようにして、俺は全速力で逃げた。

あまりに恐ろしくて、振り返ることも出来なかった。

…どれだけ走っただろう。

体感時間としては、フルマラソンを走ってる気分だったが。

実際には、恐らく3分も経っていない。

真っ暗だったはずの壁の向こうに、一筋の光が見えた。

…出口だ、と気づいた途端。

俺は、その光を目指して走った。

背後に迫るネズミが、段々と距離を詰め。

ネズミの獣臭い息遣いが、俺達の背後、ゼロ距離に迫った…と思ったその瞬間。

俺達は壁の穴を抜けて、ようやく出口に辿り着いたのだった。
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