神殺しのクロノスタシスⅤ〜前編〜
ぼんやりと立ち尽くしている暇はない。

僕や白ウサギさん、灰色ウサギさん達は、急いで村の中に入った。

「痛い、痛い…」

切り裂かれたお腹を押さえて、地面に倒れている者。

「あぁ、足…足が…。何とかしてくれ。頼む…!」

千切れた足を、断面に押し付け…錯乱したように叫ぶ者。

「誰か、助けてください!子供が…子供を助けて…!」

既に息絶えた子供の亡骸を腕に抱き、自らも頭から血を流しながら歩き回る者。

…そして。

「…」

…既に息絶えて、言葉を発することも、僅かに身動ぎすることもない者。

阿鼻叫喚。正に地獄絵図だった。

…もう何度、こんな光景を見せられたことだろう。

こんなものばかり見せられていたら…さすがの僕も、我慢ならなくなってくる。

僕は医薬品を持って、怪我をした人を手当てして回った。

治療している間は、目の前にいる患者のことしか考えなかった。
 
この惨劇を引き起こした…犯人については、頭の中から追い出していた。

それを考えてしまったら…思考の波に襲われることは分かっていたから。

僕はこの惨劇を引き起こしたのは、ナジュ君ではないと思っている。

ナジュ君の二つ名を騙る、別人の犯行に違いない。

…それでも。

『殺戮の堕天使』と聞いて…。思い出してしまうのは確かだ。

無慈悲に村人を虐殺し、僕を殺そうとした…あのときの、ナジュ君の姿を。

忘れたくても、あれだけは忘れられない。

ナジュ君の、別の姿をいくらでも知っているのに。
 
優しくて剽軽で、仲間思いの…本来のナジュ君の姿を知っているのに。

それでも僕は…「あの時」のナジュ君を、未だに忘れられずにいた。

多分、一生忘れないだろう。

…あの姿が、脳裏によぎる。

何より気になるのは…怪我をしたウサギさんの身体に残っている、傷跡。

既視感のある傷口だと思っていたが…『殺戮の堕天使』の名を聞いて、思い出した。

この傷は、ナジュ君の魔法によるものだ。

ナジュ君か…は分からないけど、使う魔法は、ナジュ君と同じタイプだ。

風魔法で作った刃による傷。

鋭利な刃物でずたずたに切り裂かれたような、独特の切り口。

見間違えようはずがない。

『殺戮の堕天使』の名前。

そして…この見覚えのある傷口。

ますます、疑問は尽きない。

「…」

…駄目だ。また考えちゃってた。

考えるのは後だ。

今は、目の前にいる怪我人を助けなくては…。

「おい!頼む、こっちの応援に来てくれ!」

「え?」

頬に血の跡をつけた灰色ウサギさんが、突然、僕を呼びに来た。

「どうしたの?」

「…来てくれれば分かる…!人手が足りないんだ」

灰色ウサギさんの顔は、灰色の毛に被われていても分かるくらいに…青ざめていた。

…これはただ事じゃないと、すぐに理解した。

「分かった、こっちを終わらせて…すぐ行く」

僕は、今度こそ余計なことを考えるのをやめ。

目の前の命を守ることに、神経を集中させた。
< 437 / 634 >

この作品をシェア

pagetop