神殺しのクロノスタシスⅤ〜前編〜
「あ、あの…。イレースちゃん…?」

シルナは愕然としていた。

「人間、誰しも歳を取ればボケるものです。学院長にも、ついにその時が来たのですね。えぇ、もうすぐだとは思ってました」

「…」

「こんな時に備えて、学院長がボケたらすぐに入れるよう、老人ホームのパンフレットをいくつも取り寄せておいたんです。片っ端から連絡して、空きがあるところに、すぐ入れてもらいましょう」

イレースはたおやかな…そして同時に、般若のような恐ろしい笑顔で言った。

「物を忘れる、なくすなどの行為は、認知症の代表的な特徴です。これは病気なのですから、何も恥じることはありませんよ」

「ち、ち、違うんだよイレースちゃん。私ね、本当に何のことか分からなくて、」

「えぇ、大丈夫です。分からなくて良いんですよ。あなたは認知症なのですから。そういう病気なんです」

「びょ、病気じゃないんだって!」

「そうですね。病気じゃありませんよね、はいはい。じゃ、荷物をまとめましょうね」

「違うんだよ〜っ!!」

シルナ、涙目。

このままじゃシルナは、マジで老人ホームに送り込まれかねない。

それはそれで平和なのかもしれないが、シルナがボケたと判断するには、判断材料が足りない。

「本当に分からないんだよ。一体何のこと?ねぇ、羽久助けて!」

「え?あ、あぁ…」

「私ボケてないの!本当に!皆一体何を言ってるの?シルナはいつものシルナだよ!」

そうだな。

俺も、そう思ってたんだが…。

でも、生徒達の噂…。

最近のシルナは、人が変わったように豹変したと言っていた。

更に、二時間前にイレースに会ったことも忘れ、そのときもらったはずの書類もなくし。

ここまで不自然なことが、立て続けに起きているとなると…。

…あれ?やっぱりボケたんじゃね?

「シルナがボケたから」の一言で、全ての疑問が解決するんだけど。

それもこれも認知症の症状だと思えば、何もかも納得出来る。

…成程、そういうことだったか。

それは…しょうがないな。

俺も、覚悟を決めなければならないということだ。

「…なぁ、シルナよ」

「な、何…?羽久」

「ボケるのは、何も恥ずかしいことじゃない。俺が付き添ってやるから、一緒に老人ホームに行こう。な?」

俺はシルナの肩に手を置いて、そう言った。

するとシルナの両目に、ぶわっ、と涙が浮かんだ。

「ほ…本当にボケてないんだよ〜っ!!」

病識はなし、と。

でも大丈夫だ。老人ホームに入って、きちんと面倒を見てもらえば、ある程度症状も落ち着き、

…などと考えていた、そのときだった。

学院長室の扉が、ガチャッ、と開いた。

そして、中に入ってきたのは。



「…あぁ、イレースちゃん。来てたんだね」



その人物を見て、俺は驚愕に目を見開いた。
  

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