シークレット・ガーデン~英国紳士の甘い求愛と秘密~
22.思い出話
「貴女が無事でいるのを見られて良かった。あの日のことは本当にごめんなさい」
「そんな、ミセス・ベネットこそ大変だったのに」
予定よりも随分遅れてようやく会えたミセス・ベネットは、玄関先で莉緒のことを迎えてくれた。心配していたが、杖もなく自力歩行できている姿を見てホッとする。
けれど聞いた話では、入院中に二回の手術をしたと言う。
「私こそ、お見舞いにも行かず」
「遠かったし、それに葬儀やら何やらあったから。こっちこそせっかくの申し出を断ってしまってごめんなさいね」
グレーヘアの美しい彼女と直接会うのは数年ぶりだ。
最後に会ったのは、彼女が日本に観光に来た時だ。両親があちこちの案内役を買って出て、莉緒もそのお供をした。
「でも本当に肝が冷えて。ヨシユキやカオルになんて言えばと」
両親の名を口にしながら胸を押さえる。
「私もいい大人です。確かに少し慌てたけど、泊まるところを探すのは自分でもできたことだし。ここの辺りが駄目でも距離的にロンドンに戻ることもできたから、そうすればさすがにどうにかなってたはず。だからきっと大丈夫だったんです」
「偶然とは言え、お友達に会えて良かったわ。知り合いなら安心だと胸を撫で下ろしたの」
その言葉に、莉緒は曖昧に微笑んだ。
実は彼女にはその“お友達”についてはっきりと伝えていない。ついでに言うと、両親にも。
だって十数年ぶりに再会した男性の家に転がり込んだなんて、言えばものすごく心配されるし、反対されることは明白だったから。
莉緒自身だって、最初はとても迷ったのだ。警戒した。
それがあれよあれよとこういう形になったのだが、正直リスク管理がなっていない、迂闊にも程があると言われればその通りだと思う。自分が今無事なのはただの結果論で、運が良かったというだけの話だ。
一つ、何かを見誤っていれば犯罪に巻き込まれていた可能性だって否定できない。
今だって知られれば、驚かれ、心配され、やっぱりウチにいた方がいいわ今すぐそうしなさいと言われるだろうことは分かっていたので、莉緒は引き続きのこの件については曖昧にぼかすことを心に決めた。
「そうよねぇ、あんなに小さいお嬢さんがもうこんなにすっかり大人の女性になっちゃってるなんて」
お喋りしている間に、庭の臨めるダイニングに案内される。
テーブルには白のレースのテーブルカバーが掛けられており、既に紅茶とお菓子の準備が整えられていた。
「わ、すごい……」
「久々だから、ちょっと自信がないのだけど」
「え、手作りですか?」
アップルパイよ、と彼女は微笑む。
酸味と甘みのバランスが絶妙なパイに舌鼓を打ちながら、話に花を咲かせる。アップルパイのリンゴは、加熱に適した料理用のリンゴ・ブラムリーを使っているらしい。いつぞやレオンと一緒に作ったアップルソースも、同じ品種を使ったと思い出す。
「懐かしいわね。貴女にここで会ったのは、もう十年以上前。夏休みの旅行だって、久しぶりに家族来てくれたのよね、覚えてる」
「えっと……」
そう言われて、莉緒は返答に窮した。
そうだっただろうか。
色んな綺麗な景色を見たことは覚えているが、細かいところが怪しく、ミセス・ベネットに会ったこともはっきりとはしなかった。
「ごめんなさい、実はあんまり記憶に」
「あら、残念」
彼女は気にした風もなく微笑んだが、紅茶をひと口含んだ後に何か思い出したようだった。
「あぁ、でも……」
「でも?」
「これも覚えてないかしら? 確かあの夏、貴女、遊びに行ったお知り合いの家で倒れたとか」
「え」
それこそ本当に覚えていない。
「あぁ、あのね、貴女のご両親から聞いた話だと、熱中症になっちゃったみたいなの。幸いそう酷い状態ではなかったらしいわ。だけどそこで意識が朦朧とした影響かしら、やっぱり少し前後のことがぼうっとしてたらしくて」
そういうのも影響してるんじゃないかしら、と言われれば、そうかもしれないと思う。
空港で選んだお土産や、母にねだって買ってもらった現地の可愛い柄をした紅茶の空き缶のことなんかは覚えているけれど、そういった物にまつわることしか覚えてないなんてなんか現金だな、と自分のことを思う。
「でも昔のことって忘れるわよねぇ。私も十代のことなんかもう、すごく楽しかったことと、すごく傷ついたことを数えるほどしか覚えてない気がするわぁ」
「言われてみれば……」
色んなことを取り零しながら生きている。
誰かと思い出話をしながらなら芋づる式に出て来る記憶もあるのだろうが、細かいところの記憶というのはもう普段は随分ボケてしまっている。
でも、そういうものなのだろう。
何もかもを常に鮮明に覚えているというのは、とても疲れることだろうから。脳がきっと取捨選択している。