シークレット・ガーデン~英国紳士の甘い求愛と秘密~
23.だって、それは
莉緒はミセス・ベネットの自宅で、のんびりと一週間を過ごした。
彼女に変わって重いものの買い出しをし、小分けにできるものは小分けにし、気が付いた不便そうなところは極力解消したつもりだ。
そして時折彼女からお菓子のレシピをいくつか教わり、お茶の時間を楽しむ。
その間、莉緒は一度も転職サイトを開かなかった。意識して我慢した部分もあったが、画面とにらめっこをしていた時の切迫感を思うと、必要な我慢だと思った。
あの日レオンが莉緒に言ったことは、きっとほとんど正しかった。
「それじゃあ気を付けてね。また来てちょうだい。いつでも大歓迎よ、本当よ」
「ミセス・ベネットこそ、困ったことがあればいつでも連絡ください。何事もなければ年明け頃まではいると思います。またお茶もしたいです」
「それは私も楽しみだわ」
丁度一週間目を迎えたその日、莉緒はミセス・ベネット宅を後にし、駅へ向かう前に少しだけ寄り道をすることにした。
「えっと……確かこの辺り」
不確かな記憶と、ミセス・ベネットから教えてもらったざっくりした地理を頼りに向かったのは、いわゆる高級住宅街だ。
避暑地の中でも一部の抜きんでた富裕層の別荘が並ぶ。敷地の大きさがもう違うのがひと目で分かる。
「浮いてないかな……というか不審者扱いされないか」
長閑で広いゆったりとした道には、人影がない。人がいないということは誰にも見咎められないということだが、シーズンからズレた時期に往来を歩くアジア人女性というのは、目に留まればとても目立つようにも思う。
「…………ここ、かな」
そんなことを考えてビクビクしながらも、やがて莉緒はあるお屋敷の前でそう呟いた。
立ち止まってあまりじろじろ見ていては、それこそ本当に不審だ。
だから散歩ですよ、景色を眺めてるんですよという風を装って、ゆっくりと歩み続けながら視線を遣る。
莉緒の目的の場所、それはかつてお邪魔したことのあるゼーゲル家のお屋敷だった。
別に誰に会いたいとか、何をしたいというはっきりとした目的がある訳ではない。時期的にもきっと管理人しかいないだろうし、今ではもう関わりのない一家だ。
見てみたかっただけ。それだけ。
自分とレオンの出会いの場。けれど莉緒の記憶は古ぼけていてピントが合わない。
だから、観れば何か思い出すかなと思って、そっと雰囲気だけ感じに来たのだ。
「といってもやっぱり特にはって感じだなぁ」
高い鉄柵の向こうは木々に覆われそう見通せない。どこまでも立派なその様子に圧倒されるだけで、特に刺激される記憶はなかった。
「レオン、ここで暮らしてたんだよね」
近くにこの屋敷があるのに、どうして彼は別に家を持つことにしたのだろうとふと疑問に思った時だった。
「君、今オレのこと呼んだ?」
「えっ?」
不意に響いた声に驚いて振り向くと、そこに一人の男性が立っていた。
金の髪、緑の瞳の背の高い男性。気付いていなかったが、いつの間にか通行人がいたらしい。
「いや、レオンって」
男性は手にしていた大きめの封筒で肩をトントン叩きながらそう言った。
莉緒には彼の反応が理解できない。
確かに“レオン”とその名前を口にしていた。けれどそれがどうしたと言うのか。
返す言葉が見つからずその場に棒立ちになった莉緒だったが、相手も何やら考え込むようにじろじろと莉緒のことを頭のてっぺんから爪先までじっくり眺めてきた。
「…………えっと、なんだっけ。確か、そう」
そうして、口にしたのだ。
「リオ?」
「――――え」
莉緒の名前を、口にした。
まだ名乗ってもいない、見知らぬ男が。
じりっと莉緒の足が後ろへ一歩下がる。
知らない。こんな人は知らない。
けれど同時に思うのだ。
この人、どことなくレオンに似てる……?
「君、リオじゃ? ほら昔、この辺りに住んでた日本人家族の」
合点が行ったとパッと相手の顔が明るくなる。
「…………そう、ですけど」
一方の莉緒は肯定すべきかどうか警戒しながらも、結局渋りながらも頷いた。
「あぁ、やっぱり」
「あの、失礼ですが、お名前……」
けれど納得されても莉緒の方は以前何も掴めないままだった。
年の頃は莉緒よりも数歳上という感じ。仕立ての良い服を着ている。
それ以外は何も分からない。
「今、君が呼んだじゃないか」
けれど、戸惑いを全開にして訊ねた莉緒に、彼は言ってみせたのだ。
謀りだろうと言いたくなる、その名を。
「レオン・ゼーゲル」
「は……?」
自分は、レオン・ゼーゲルだと名乗った。
全く理解できない。そんなはずがない。レオン・ゼーゲルと言えば彼のことではなく――――
莉緒が頭の中でぐるぐるとあれこれ巡らせていると、彼が柵の向こう、ゼーゲル家の敷地を示して言う。
「昔この庭で、一緒に遊んだだろう?」