シークレット・ガーデン~英国紳士の甘い求愛と秘密~
35.一夜明け
「――――で?」
翌朝。
エリオット宅のリビングでは、レオンがソファに尊大に腰掛けていた。
「見つかったなら一言報告すればいいものを。こっちは一晩中探していたんだが?」
仲が悪いというのは本当らしい。空間を共にした途端、お互い硬い空気を纏い始めてしまった。
エリオットは今の今まで莉緒に対しては本当に物腰柔らかくいてくれたので、意外な一面を見た気分だ。莉緒の手前加減はしているのだろうが、表情がどう見ても凪いでいる。
一方のレオンは口元に微笑みを浮かべてはいるのだが、目の方は全く笑っていなかった。
空気が悪すぎて息が詰まる。
「あ、リオを責めてる訳じゃないからね」
とにこやかに言われるが、本心はどこにあるのだろう。
「連絡を入れそびれた件は、まぁ、悪かったと」
だが、朝一番だと言うのにレオンの様子からは疲労の気配が感じられる。それはエリオットももちろん分かっているようで、歯切れ悪くそう言えば。
「本当になってないな」
これ見よがしな溜め息と共にそう吐かれ、莉緒はその場にゴングの鳴る音を聞いた気がした。
「元はそっちの不手際じゃないか」
空気がますます硬くなる。ここから無限の応酬が始まってしまうのでは。
「あ、あの……!」
何か話題を別の方向に、と無策ながら口を挟むと、レオンは思ったよりあっさりと舌戦を切り上げてくれた。
「リオ」
感情が読めないな、と思う。
「思い出したんだってね」
悲しい、嬉しい、申し訳ない、不快だ。そのどれもが、莉緒は確信を持ってレオンから感じ取れない。表情は変わるけれど、本心からそう思っているのかは分からない。
だからいつも彼と会うと、どこか信じられない気持ちが心の片隅に巣食っていたのだと気付く。
「当時のことについては、リオには本当に申し訳ないことをした。今更誤魔化せることではない。だけど良くも悪くも事態は全て処理された後だ」
淡々とした物言い。彼は良くも悪くも本心を悟らせない。
彼自身、ただ後継者というだけでなく、もう大きな家の実務に携わっている身。あの時の大人側と同じ場所に立っている。
「リオは不審に思ったかもしれないけど、こちらにできることは今の君のロンドン暮らしの手助けをすることくらいしかなかった」
それでも知らないフリはしなかった。そんな事実はなかったと言いはしなかった。
それが今、彼が示せる精いっぱいの誠実さなのだろう。
「閉所恐怖症と暗所恐怖症が出ると聞いてる。十中八九、あの事件が原因だろう。イギリスので良ければカウンセラーを紹介するし、帰国後でもかかった費用は請求してくれて構わないから」
「え……」
莉緒がいきなりの申し出に戸惑って何とも答えられずにいると、レオンはまたくるりと表情変えてにっこりと笑みを浮かべた。
「ちなみにそこの嘘つき男と和解はできた?」
「う、嘘つきって……」
チラリと視線を横へ滑らせると、エリオットは難しい表情で口を引き結んでいる。
何となく気付いたが、彼はレオンの言うことがその通りだと思っている時には多分何をどう言われても反論しないのだろう。
エリオットは自分のことを嘘つきだと思っている。
「和解、できました。大丈夫。悪意のある嘘なんてどこにもなかったし、当時のことだって怒りを向ける先はエリオットでも、もちろんレオンでもない」
そして多分、レオンにだって何かしらの後ろめたさがある。
エリオットは自罰的。レオンは偽悪的で、憎まれ役を買って出るタイプではないだろうか。莉緒はそんな風に思う。
「――――」
レオンは少し目を瞠って、それからふと表情を緩めた。
「結局収まるところに収まったか。いやぁ、何年越しの初恋を実らせたんだ? 下手したら二十年とかじゃないか? ちょっと怖いな……」
この発言にもエリオットは反論しなかった。もにょもにょ口を動かしていたが、これは自分でもちょっと怖いと思われてもおかしくないと思っているに違いない。
レオンはその様子を見ながら立ち上がり、上着を手に取った。
「新年会には顔を出せ」
そうして溜め息まじりに言う。
「いつもそうしてる」
嫌そうな声で、今度はエリオットも返事をした。
「というか、新年会に出るだけで責務を全て果たしたことになってると思うなよ。後は全部放り投げてるじゃないか」
「いない方が空気が和やかだろう。僕だって、誰かの鬱憤晴らしの道具になるのはごめんだ」
そしてまた空気が一瞬にして険悪になっていく。
「道具にされるのは、お前の立ち回りの問題だよ。可愛げがないんだよ、だから余計に絡まれていびられる。一方的に家を出て、返済不要の奨学金の当てなんかつけて、大学卒業後は家とは関係のない就職先を決めてきたと思ったら、これまでの養育費だって金をどんと突き付けるんだからな。学生時代は株やら何やらで随分儲けたらしいな。そして以降はとんと顔を見せもしない」
「…………」
「愛情たっぷりの家庭環境じゃなかったかもしれないが、それにしても育ててもらった恩を単純に金に変えて目の前で突き付けるとか、普通に心証悪いだろう」
「それで示す以外に他にどうしろと?」
「残念ながら金で簡単に切らせてもらえる縁じゃない」
「その言葉、全部まずは“彼女”に突き付けてやってほしんだが」
彼女――――エリオットの母親。
確かに全ての元凶は彼の両親にある。彼がゼーゲルという家から逃れたいと思うのも自然な心理だと思う。レオンの言い様は一方的な地点からの物言いにも思える。
でも、外野にいる莉緒が安易に口を挟めることでもないように思った。
どちらがどう恵まれていて、どういう重荷を背負っているのか。
二人を比べると、お互いが持っていたものの性質がきっと正反対だったのではないだろうか。そんな二人が一つ屋根の下、近しいところでずっと一緒に暮らしていた。
きっと莉緒の想像以上に難しい感情が二人の間にはあるのではないかと、そう思う。
それに。
「悪いねリオ、驚かせて。でもこれがオレ達の“普通のやりとり”なんだ」
エリオットはレオンを避けたがってはいるが、こうして相対すればあまり取り繕った様子を見せない。
あの庭の屋敷の隅で、いつも一人で過ごしていた彼を思う。
“家族”の輪に入れず、入らず、一人で過ごしていたエリオット。その心にどんな感情があったのか、莉緒には図り切れないが。
それでもそこに多大な遠慮が、疎外感があっただろうことは想像できる。
そんな彼がレオンとは舌戦を繰り広げる。良くも悪くも見せられる素がそこにはあるのだ。
仲が悪いと彼は言うけれど、それだけではない感情もきっとあるのだろうと思う。
「それから、そこの男に嫌気が差したらいつでも連絡してくれていいよ。リオなら大歓迎だ」
そんなことを考えていたら、レオンが顔をふと近付けて来て、藪から棒にびっくりするようなことを言い出した。
「何言い出すんだ……!」
莉緒が冗談を、と笑い飛ばす前に、血相を変えてエリオットが莉緒の肩を抱いて引き離す。
「いや、だってそうだろう? リオの記憶はオレのものとお前のものが混ぜ合わさったもので、リオの語る良い思い出の中にはもちろんオレもいる。ということは、お前に向けらえれた安心感や好意の内には、本来オレに向けられるべきものもあったんじゃ?」
「!」
明らかな動揺が、腕を介して莉緒に伝わって来た。
レオンは実に楽しそうな顔をしている。
「順番が違えば、先に会ってたのがオレだったら、そこに立ってるのは果たしてお前か?」
それはどうだろう。
もしもの話をしても意味がないと莉緒は思うし、その場合きっとレオンは真実を告げなかっただろう。なんせ、余分な記憶がくっついているだけで、彼は“レオン”本人なのだから記憶が曖昧な莉緒をそのまま丸め込んでしまえる。
けれどそんな風に隠し事がある状態で、本当に相手の心の内に踏み込めただろうか。深い仲になれただろうか。
「レオン」
それに、これはエリオットを動揺させるための軽口だ。彼は莉緒なんかに本気になったりしない。
けれどエリオットがあまりに“もしも”の可能性を真に受けているのが伝わってきたので、莉緒は苦笑しながら言った。
「あんまり意地悪言わないで」
「ごめんごめん」
レオンも軽く謝って、それ以上にはこの話題に触れなかった。
「でも本当に連絡はいつでもどうぞ。ソフィアもリオの体調を心配してたから、リオが負担に思わないならまた顔を見せてやってほしい。両親は外遊中でしばらく帰ってこない。あの屋敷に来て、リオが鉢合わせすることだけはないから」
そうしてそろそろ仕事があるから、と足早にその場を後にした。