緋の鏡 ~その血は呪いを呼ぶ~
真美が駅の階段から落ち、救急車で運ばれたという母からの電話を受けたのは昼食時だった。伊倉に事情を説明して病院に駆けつけた。待合場所に母親がいる。その隣には若い男が座っていた。
「母さん!」
「あ、克弥」
「真美は?」
母親は力が抜けたようにうっすら笑った。
「大丈夫よ。かすり傷程度だって。意識も記憶もしっかりしているみたいで、心配ないようよ。今日はとりあえず帰って、明日、精密検査を受けることになったけどね」
克弥は思わずホッと胸を撫で下ろした。
「そうか。よかった」
「慌てて階段を踏み外したみたい。今は先生同席のもとで警察の方と話をしているわ。誰かに押されていないか、とか」
克弥はもう一度安堵の吐息をついた。
「父さんには知らせたの?」
「いいえ。結果次第だと思ったから。たいしたことがなかったから連絡しなかったわ」
克弥たちの父は海外にいるのだ。帰国まではまだ数年かかるだろう。
「そうだな。かすり傷なら、わざわざ連絡して心配させることもないだろう。で、こっちの彼は?」
「真下といいます。氷室さんと同じクラスの者です。すみません。氷室さん、僕を見つけて、それで足を踏み外して」
真下が涙交じりに言った。
「気にするな。慌てん坊の真美が悪いんだ。君のせいじゃない」
「でも、もし、打ち所が悪かったら。そう思うと」
グスッと涙ぐむ。克弥は真下の肩をポンと軽く叩いた。
「君のせいじゃないって。それよりも介抱してくれたんだろ? 礼を言わなきゃいけないぐらいだ」
真下が涙を拭った時、医者が現れた。その後ろには真美がいる。
「真美!」
真美はニコッと笑ったが、すぐに顔を強張らせた。
真美に問題がないとわかると、真下はホッとしたような顔をし、それから予備校に向かった。克弥達はタクシーで自宅に戻り、リビングで一息ついた。
「あのね、お兄ちゃん。ちょっと話があるんだけど」
克弥がコーヒーを飲みながら真美に顔を向ける。
「これ」
言いながら、鞄から手鏡を取り出した。一瞬、克弥の体がギクリと震えた。
「これがどうかした?」
「夢を見たの」
今度は息を呑む。
「着物姿の女の人が恨みを口にしながら、手鏡に指を押しつけてるの。指の先がなくて、その先から流れている血を鏡に塗りつけてるって感じ。これ、ヤバいんじゃないかな?」
「……どういう意味?」
真美は強張った顔を手鏡に向けた。
「真下を見つけて近づこうとしたら、周りが真っ暗になったの。それだけなら先生が言うように、貧血か立ちくらみなんかだと私も思うけど、夢に出てきた女の人が見えた気がしたのよ。それだけじゃなくて、その人が持ってるのがこの手鏡じゃないかと思ってさ。同じ柄だったし。これ、けっこう珍しいっぽいじゃない? 見るからに高そうだし、見間違えるってないと思うんだよね。それで驚いて足を踏み外したの。寝不足って言われたら言い返せないけど、でも一晩ぐらいの寝不足で、足踏み外すほどドン臭くないつもりだし」
「お前、なんか、ずいぶん冷静だな」
「うーん、だって夢じゃん? 所詮夢だよ。それに昔から、怖い話とか、ぜんぜんなんとも思わなかったからねぇ。体質とか、あるんじゃない?」
「……そんなもん?」
「と思うけど。でも……それでも、怖かったよ、あの夢。今はまだ一回しか見てないからこんな感じだけど、今夜も見たらどうしようって、それは思う。あれを連日見たら――」
真美の顔色は徐々に色を失い始めた。
「ちょっと、無理かも。あれが連日だと寝るのが怖くなる。ノイローゼになりそう。正直なところ、今夜は見ませんようにって思ってる。だからこれ、持っていたくないのよ」
「――――」
「こじつけかもしれないけど、この手鏡、捨てたほうがいいんじゃない? どこで手に入れたのか知らないけどさ、ヤバい気がする。昔から鏡、櫛、人形って、怨念とかなんとか、取り憑きやすいって言うしさ」
克弥は神妙な顔をした。真美の言葉と菜緒子の様子がリンクする。
「単に似たような絵柄で、パッと見、似てるだけならいいけどさぁ。もしさ、因縁とかあったら怖いよ」
「……そうだな」
「影響が出る前に処分したほうがいいと思うよ。せっかく譲ってもらったけど、私はいらないから、返す」
真美は申し訳なさそうに言い、それからもう手鏡のことは触れなくなった。そんな真美の横顔を見ながら、克弥は考え込んでしまった。
「母さん!」
「あ、克弥」
「真美は?」
母親は力が抜けたようにうっすら笑った。
「大丈夫よ。かすり傷程度だって。意識も記憶もしっかりしているみたいで、心配ないようよ。今日はとりあえず帰って、明日、精密検査を受けることになったけどね」
克弥は思わずホッと胸を撫で下ろした。
「そうか。よかった」
「慌てて階段を踏み外したみたい。今は先生同席のもとで警察の方と話をしているわ。誰かに押されていないか、とか」
克弥はもう一度安堵の吐息をついた。
「父さんには知らせたの?」
「いいえ。結果次第だと思ったから。たいしたことがなかったから連絡しなかったわ」
克弥たちの父は海外にいるのだ。帰国まではまだ数年かかるだろう。
「そうだな。かすり傷なら、わざわざ連絡して心配させることもないだろう。で、こっちの彼は?」
「真下といいます。氷室さんと同じクラスの者です。すみません。氷室さん、僕を見つけて、それで足を踏み外して」
真下が涙交じりに言った。
「気にするな。慌てん坊の真美が悪いんだ。君のせいじゃない」
「でも、もし、打ち所が悪かったら。そう思うと」
グスッと涙ぐむ。克弥は真下の肩をポンと軽く叩いた。
「君のせいじゃないって。それよりも介抱してくれたんだろ? 礼を言わなきゃいけないぐらいだ」
真下が涙を拭った時、医者が現れた。その後ろには真美がいる。
「真美!」
真美はニコッと笑ったが、すぐに顔を強張らせた。
真美に問題がないとわかると、真下はホッとしたような顔をし、それから予備校に向かった。克弥達はタクシーで自宅に戻り、リビングで一息ついた。
「あのね、お兄ちゃん。ちょっと話があるんだけど」
克弥がコーヒーを飲みながら真美に顔を向ける。
「これ」
言いながら、鞄から手鏡を取り出した。一瞬、克弥の体がギクリと震えた。
「これがどうかした?」
「夢を見たの」
今度は息を呑む。
「着物姿の女の人が恨みを口にしながら、手鏡に指を押しつけてるの。指の先がなくて、その先から流れている血を鏡に塗りつけてるって感じ。これ、ヤバいんじゃないかな?」
「……どういう意味?」
真美は強張った顔を手鏡に向けた。
「真下を見つけて近づこうとしたら、周りが真っ暗になったの。それだけなら先生が言うように、貧血か立ちくらみなんかだと私も思うけど、夢に出てきた女の人が見えた気がしたのよ。それだけじゃなくて、その人が持ってるのがこの手鏡じゃないかと思ってさ。同じ柄だったし。これ、けっこう珍しいっぽいじゃない? 見るからに高そうだし、見間違えるってないと思うんだよね。それで驚いて足を踏み外したの。寝不足って言われたら言い返せないけど、でも一晩ぐらいの寝不足で、足踏み外すほどドン臭くないつもりだし」
「お前、なんか、ずいぶん冷静だな」
「うーん、だって夢じゃん? 所詮夢だよ。それに昔から、怖い話とか、ぜんぜんなんとも思わなかったからねぇ。体質とか、あるんじゃない?」
「……そんなもん?」
「と思うけど。でも……それでも、怖かったよ、あの夢。今はまだ一回しか見てないからこんな感じだけど、今夜も見たらどうしようって、それは思う。あれを連日見たら――」
真美の顔色は徐々に色を失い始めた。
「ちょっと、無理かも。あれが連日だと寝るのが怖くなる。ノイローゼになりそう。正直なところ、今夜は見ませんようにって思ってる。だからこれ、持っていたくないのよ」
「――――」
「こじつけかもしれないけど、この手鏡、捨てたほうがいいんじゃない? どこで手に入れたのか知らないけどさ、ヤバい気がする。昔から鏡、櫛、人形って、怨念とかなんとか、取り憑きやすいって言うしさ」
克弥は神妙な顔をした。真美の言葉と菜緒子の様子がリンクする。
「単に似たような絵柄で、パッと見、似てるだけならいいけどさぁ。もしさ、因縁とかあったら怖いよ」
「……そうだな」
「影響が出る前に処分したほうがいいと思うよ。せっかく譲ってもらったけど、私はいらないから、返す」
真美は申し訳なさそうに言い、それからもう手鏡のことは触れなくなった。そんな真美の横顔を見ながら、克弥は考え込んでしまった。