緋の鏡 ~その血は呪いを呼ぶ~
「春音さん? どうしたの?」
『神の詞が聞こえる』
克弥を押しのけて離れ、振り返る。後ろに立つ紗子を見た。
『あたしのために、神の詞を唱えてくれるの?』
紗子が頷いた。
「神様の詞だけじゃないよ」
克弥が代わって答える。
「仏様の詞も聞こえるはずだ。春音さんのために、浄閑寺のお坊さん達が祈ってくれてるんだから」
『浄閑寺? 本当に?』
「間違いないよ。和尚さんと約束したから」
『浄閑寺! あたしたち、堕ちた女を弔ってくれる寺さ。いつも手を合わせに行っていた。そこの和尚があたしを弔ってくれているのかい?』
「だって、ほら。春音さん、とっても綺麗だ」
『あ』
春音は清められた体にようやく気がつき、驚いて体を捻りながらあちらこちらを確かめた。
『本当だっ。あたし、綺麗になってる。本当に、綺麗になってる!』
くるくると回りながら自分の姿を確認する。その様子はまるで少女のように無邪気に見えた。
克弥の顔に自然と優しい微笑みが浮かぶ。
「本当に綺麗だ。定さんが好きになった気持ちがわかる。ねぇ、春音さん、成仏しようよ。あの世でもっと綺麗になって、またこの世に舞い戻って、今度こそ、幸せになろうよ」
『あんなに恨んだあたしなのに、赦されるのかな?』
「赦されるよ。だからみんな春音さんのために祈ってるんじゃないか。大丈夫だから、安心して」
『でも……あの世で叱られやしないかな?』
その言葉には、今度は紗子が応じた。
「神も仏も慈悲深いわ。心配しないで」
春音はしばし克弥を見つめると、円鏡に視線をやり、最後は紗子に向けた。
『あなたは女だけど、神主様だよね? あたし、どうすればいいの?』
「悔い改める者を責めはしないわ。あなたの心の奥にある思いに従えばいい。どちらを選んでもいいのよ」
春音ははにかんだような表情を浮かべ、紗子に向けて答えた。
『じゃあ、神主様には悪いけど、仏様を選んでいいかな? 浄閑寺は吉原の女には特別な寺だから』
「もちろんよ。念じなさい。仏様の後光があなたを導いてくださるわ」
春音は頷き、今度は克弥に向き直った。
『あんた、あたしと一緒に成仏してくれるって言ったよね?』
「はい」
克弥の返事を聞き、春音はその顔にふさわしい綺麗な笑顔を見せた。
『なかなかいい男じゃないか。気に入ったよ。気に入ったから、連れてかない。あの世には一人で逝く』
「春音さん」
『だって、あんたを連れていったら、あんたの大事な人が悲しむじゃないか。それは誰よりもあたしがよく知ってるもの』
「春音さん、優しいね」
春音はうれしそうに微笑んで頷くと、ゆっくりと手を合わせた。
春音の体が淡い光に包まれ始めた。
『暖かい……』
輝きの中、春音は一度目を開け、二人を見、深く頭をさげた。そして、うれしそうに笑いながらゆっくりと消えていった。
「ちょうど四時だわ。ぴったりね」
「……春音さん、最後、お幸せにって言った。そう聞こえた」
克弥は春音が消えた場所を見つめ、しばらく動けなかった。
そんな克弥の肩を紗子がポンと優しく叩いた。
「鹿江田先生」
「よく頑張ったわね。氷室君の気持ちが彼女の心を動かしたのよ」
「先生が守ってくれていると思ったから……信じてたから」
克弥の目に涙が浮かんだ。
「氷室君」
「よかった。俺、自分が助かったことより、春音さんが成仏できたほうがうれしい。本当に、よかった。よかった……」
涙が止まらない。紗子が優しい眼差しで見守る中、克弥は声を殺しながら、春音のことを思って泣いた。
『神の詞が聞こえる』
克弥を押しのけて離れ、振り返る。後ろに立つ紗子を見た。
『あたしのために、神の詞を唱えてくれるの?』
紗子が頷いた。
「神様の詞だけじゃないよ」
克弥が代わって答える。
「仏様の詞も聞こえるはずだ。春音さんのために、浄閑寺のお坊さん達が祈ってくれてるんだから」
『浄閑寺? 本当に?』
「間違いないよ。和尚さんと約束したから」
『浄閑寺! あたしたち、堕ちた女を弔ってくれる寺さ。いつも手を合わせに行っていた。そこの和尚があたしを弔ってくれているのかい?』
「だって、ほら。春音さん、とっても綺麗だ」
『あ』
春音は清められた体にようやく気がつき、驚いて体を捻りながらあちらこちらを確かめた。
『本当だっ。あたし、綺麗になってる。本当に、綺麗になってる!』
くるくると回りながら自分の姿を確認する。その様子はまるで少女のように無邪気に見えた。
克弥の顔に自然と優しい微笑みが浮かぶ。
「本当に綺麗だ。定さんが好きになった気持ちがわかる。ねぇ、春音さん、成仏しようよ。あの世でもっと綺麗になって、またこの世に舞い戻って、今度こそ、幸せになろうよ」
『あんなに恨んだあたしなのに、赦されるのかな?』
「赦されるよ。だからみんな春音さんのために祈ってるんじゃないか。大丈夫だから、安心して」
『でも……あの世で叱られやしないかな?』
その言葉には、今度は紗子が応じた。
「神も仏も慈悲深いわ。心配しないで」
春音はしばし克弥を見つめると、円鏡に視線をやり、最後は紗子に向けた。
『あなたは女だけど、神主様だよね? あたし、どうすればいいの?』
「悔い改める者を責めはしないわ。あなたの心の奥にある思いに従えばいい。どちらを選んでもいいのよ」
春音ははにかんだような表情を浮かべ、紗子に向けて答えた。
『じゃあ、神主様には悪いけど、仏様を選んでいいかな? 浄閑寺は吉原の女には特別な寺だから』
「もちろんよ。念じなさい。仏様の後光があなたを導いてくださるわ」
春音は頷き、今度は克弥に向き直った。
『あんた、あたしと一緒に成仏してくれるって言ったよね?』
「はい」
克弥の返事を聞き、春音はその顔にふさわしい綺麗な笑顔を見せた。
『なかなかいい男じゃないか。気に入ったよ。気に入ったから、連れてかない。あの世には一人で逝く』
「春音さん」
『だって、あんたを連れていったら、あんたの大事な人が悲しむじゃないか。それは誰よりもあたしがよく知ってるもの』
「春音さん、優しいね」
春音はうれしそうに微笑んで頷くと、ゆっくりと手を合わせた。
春音の体が淡い光に包まれ始めた。
『暖かい……』
輝きの中、春音は一度目を開け、二人を見、深く頭をさげた。そして、うれしそうに笑いながらゆっくりと消えていった。
「ちょうど四時だわ。ぴったりね」
「……春音さん、最後、お幸せにって言った。そう聞こえた」
克弥は春音が消えた場所を見つめ、しばらく動けなかった。
そんな克弥の肩を紗子がポンと優しく叩いた。
「鹿江田先生」
「よく頑張ったわね。氷室君の気持ちが彼女の心を動かしたのよ」
「先生が守ってくれていると思ったから……信じてたから」
克弥の目に涙が浮かんだ。
「氷室君」
「よかった。俺、自分が助かったことより、春音さんが成仏できたほうがうれしい。本当に、よかった。よかった……」
涙が止まらない。紗子が優しい眼差しで見守る中、克弥は声を殺しながら、春音のことを思って泣いた。