僕の月
第7話
僕は原稿用紙をゴミ箱に捨てた。ぐちゃぐちゃになった親父との写真も一緒に。もう二度と、小説は書かない。薄暗い部屋で、冬樹からのメールを読み返した。『助けて』の文字が涙でかすむ。そうだった。なぜ今まで僕は許された気になって楽しく生きていたんだろう。冬樹を忘れられるかもしれないだなんて、そんなはずないのに。世界で一番大切な人を、僕は二人も追い詰めたんだ。失うときのあの怖さは、何度味わっても耐えられない。だが、生きている限り、大切な物がここにある限りその恐怖は、僕につきまとう。まるで悪質な影のように剥がそうとしても剥がれない。
思えば初めから彼女と冬樹は似ていた。ふとしたときの横顔や、仕草。そういえば親父の本を沙夏も読んだことがあると言っていたな。冬樹の影響だろうか。あの場所は冬樹との思い出の場所だったんだな。思い返せば返すほど、彼女が兄のことを慕っていたのだと思える。冬樹もそういえば大切な子にプレゼントをあげると言って、スポーツ用の青いタオルを選んでいたことがあった。きっとあれは沙夏へのプレゼントだったのだろう。
もしあの日、沙夏を屋上で止めなかったら、僕はこの兄妹を。そう考えるだけで罪悪感に押しつぶされそうになった。もう、沙夏に会うことはできない。告白しようだなんて、なんて愚かなことを考えていたんだ。彼女にとって、僕は一番憎い存在だろうというのに。
楽しかった日々は一気に崩れ去った。これは僕に対する罰なのだと思った。
それから一週間、僕は何も食べる気がおきず、ずっとベッドに横たわり、時々水を飲みに起きる生活を送っていた。月明かりは相変わらず机を照らしている。原稿はもう無い。そういえばゴミ箱の中からも無くなっていた。無意識のうちにゴミに出したのだろうか。もうどうだっていい話だが。僕は目を閉じた。
「宗一郎、久しぶりだな。半年ぶりか。なあ、何であのとき、俺の話を聞いてくれなかったんだよ。」
「冬樹?お前、何でこんなところにいるんだよ。そこ、危ないぞ。崖じゃないか。もう少しこっちへこい。」
「ねえ、宗一郎。俺との約束をすっぽかして、どこに行ってたんだ。俺はお前の中でその程度の人間だったってことか。辛かったのに。苦しくて、お前に助けてほしくて、勇気を出してメールしたんだぞ。」
「すまない。すまなかった。あの日僕がお前の所に行っていれば、お前は今頃。」
「そうだ。それなのにお前は沙夏や皆と楽しく生きてる。そんなの、ずるいじゃないか。何で俺を追い詰めたお前がそうやって笑ってるんだよ。許さない。絶対に許さない。お前もこっちへ来いよ。」
「冬樹!」
冬樹はそう言って僕の胸ぐらを掴み、崖から飛び降りた。
「うわあっ。」
夢だった。呼吸が早くなる。
「冬樹、ごめん。ごめん。ごめんなさい。許して。許してください。」
返事は無かった。
ああ、そうか。冬樹と同じ所に行かないと、伝えることは出来ないのか。明日、直接謝りに行こう。
次の日、僕は冬樹のお墓参りをした。最近、誰かが来たのだろうか。とてもきれいになっていた。花も新しくなっていた。オレンジ色の花が供えてある。冬樹はオレンジ色の似合うやつだった。あいつが笑うと僕も笑顔になれて、嫌なことがあってもあいつに話をしたら気が楽になった。沙夏と同じだ。
「冬樹、許してくれ。ここじゃお前に直接伝えることは出来ないから、今からそっちへ行くよ。」
僕はあの展望台に登った。そして、綺麗な夕日を眺めながら、柵に足をかけてゆっくりとその力を抜き、乗り出した上半身へと体重をかけていった。
「そうっち、大丈夫だったかな?めっちゃ暗かったよね。」
「ああ。あんな宗一郎、見たことねえな。」
琉希はその日、奈波に呼び出されて、部屋の掃除を手伝い、その礼としてカフェで食事をおごってもらっていた。沙夏にふられたことへの気分転換をしたいと言ったが、本当は宗一郎のことが気がかりだったからだ。ここ一週間ほど、メールをしても返ってこないし、電話にも出ない。そんなこと初めてだったから、奈波にも相談しようと誘ったのだ。奈波もやはり気になっていたらしく、話を切り出したのは奈波のほうだった。
「沙夏にも色々聞いてみたんだけど、何でもないの一点張りだった。そうっちもメール見ないしさ。」
「奈波のメールもか。良かった、俺が嫌われた訳じゃあ無いんだな。」
「それは無いと思うけど、ちょっと心配だよね。ねえ、これから沙夏も誘ってここで話聞かない?私達だって、二人の友達じゃん。あの子、あんまり自分のこと話してくれないからさ、この際洗いざらい話してもらおうよ。」
「いやあ、でも無理矢理聞き出すのも悪いって言うか。」
「あんたはふられたから会うのが気まずいだけでしょう。」
「うっ。」
「じゃあ、電話してみる。」
しばらくして、奈波が席に戻ってきた。
「沙夏、十分くらいで来るってさ。」
「分かった。」
しばらくして、沙夏が来た。だが、少しいつもと様子が違うことに琉希は気がついた。
「沙夏、お前どうした。少し変じゃないか。何かあったんだな。話してみろよ。」
「で、でも。」
「いいから、話せ。お前、俺たちに気をつかってるのか知らねえけど、何も言ってくれない方が俺らは不安になるし、それにお前は大事な俺らの友達なんだ。何があっても見方でいてやるよ。な。」
「そうだよ。沙夏も、そうっちも、大事!だから、怖がらずに話してほしい。」
「うん。あのね。」
それから沙夏はこれまで何があったのか、冬樹の事も含めて二人に話した。
「そうだったのか。」
「それであの日、そうっちあんな感じになってたんだね。」
「冬樹さんのことは、バスケの試合とか合同練習でよくお世話になったから知ってた。今年亡くなった事も。それで前に一度、元南野中学バスケ部のメンツでお墓参りに行ったら、あいつがいたんだ。見間違えじゃなかったんだな。」
「まじか。そうっち、沙夏のこと聞いて、また罪悪感を感じてそう。」
「それで、沙夏はそうなんだよ。あいつのこと、どう思ってるんだ。」
「私は、初めに宗一郎がお兄ちゃんを知ってるって知ったときにはびっくりしたし、二人の間にあったことを、詳しく知っている訳じゃないけど、あの日のきっかけになってしまったって宗一郎から聞いて、戸惑った。もちろん、宗一郎がお兄ちゃんに会いに行ってくれていたら未来は変わったかもしれないって考えたら、悔しい気持ちもあったよ。嘘であってほしいって思った。けど、今はもう皆と一緒にいられることが心の救いになってるし、宗一郎のことを恨むとか、憎く思うとか、そんな気持ちは一切ないよ。それに、お兄ちゃんだって、宗一郎のこと大好きだと思う。」
そういって沙夏は、一冊のアルバムと日記を取り出した。
「これ、お兄ちゃんが亡くなる直前まで書いていた日記。宗一郎と会えなくなってもずっと気にしてたみたい。話を聞いた日に、お兄ちゃんの家に行ってみたら、見つけたの。」
「そうか。」
「そんなことがあったんだ。そうっち、辛かったよね。今まで。最近は笑ってくれるようになったけど、最初の頃はあんまり笑えてなかったね。」
「うん。私と初めて会ったとき、きっと宗一郎も飛び降りようと思って屋上に来たんだと思う。私は奈波とその日喧嘩してさ、お兄ちゃんのこともあって、ちょっとやけくそになっただけだったけど。飛び降りるつもりなんて鼻から無かったし。でも、宗一郎は、そうじゃなかった。苦しかったんだと思う。」
それぞれが、宗一郎に対して、色んな思いを抱いた。だが、彼を助けたいと思う気持ちは同じだった。
「ねえ、そういえば沙夏はさっき、何でちょっと血相かかえた感じだったの?そうっちに関係してること?」
「そうだ!あのね、私さっき、お兄ちゃんのお墓参りに行ったの。そしたら宗一郎がいて、お墓にこれ、置いてったの。」
それは、冬樹に向けての手紙だった。兄に向けての手紙を読むのは少し気が引けた沙夏だったが、気まずくて隠れて遠目に見ていた宗一郎の横顔が、なぜかいつもと違って見えた。それがなんだか嫌な予感がして、開いて読んでいたら奈波から電話が来たのだった。
「これって、あいつ。」
「そうっち、もしかして、死ぬ気じゃん。」
「やっぱり、そうだよね。」
「やべえよ。沙夏、あいつ、どこ行ったんだ?」
「分からない。どうしよう。宗一郎がお兄ちゃんみたいに。」
「ばかなこと言うんじゃねえよ。見かけたときに声かけなかったのか。」
「ちょっと気まずくて。でも、心当たりならあるかもしれない。」
「どこ?」
「展望台。」
「ここからどのくらいだ?」
「お兄ちゃんのお墓のすぐ近くだから、十五分くらい!」
「行こう!琉希、早く。」
「ああ、分かってる。走るぞ。」
三人は、手紙に書いてあった宗一郎のこれまでの心の痛みと、思いを知った。そして、最後に書かれた『今行くから。』の文字を見て、走り出した。
思えば初めから彼女と冬樹は似ていた。ふとしたときの横顔や、仕草。そういえば親父の本を沙夏も読んだことがあると言っていたな。冬樹の影響だろうか。あの場所は冬樹との思い出の場所だったんだな。思い返せば返すほど、彼女が兄のことを慕っていたのだと思える。冬樹もそういえば大切な子にプレゼントをあげると言って、スポーツ用の青いタオルを選んでいたことがあった。きっとあれは沙夏へのプレゼントだったのだろう。
もしあの日、沙夏を屋上で止めなかったら、僕はこの兄妹を。そう考えるだけで罪悪感に押しつぶされそうになった。もう、沙夏に会うことはできない。告白しようだなんて、なんて愚かなことを考えていたんだ。彼女にとって、僕は一番憎い存在だろうというのに。
楽しかった日々は一気に崩れ去った。これは僕に対する罰なのだと思った。
それから一週間、僕は何も食べる気がおきず、ずっとベッドに横たわり、時々水を飲みに起きる生活を送っていた。月明かりは相変わらず机を照らしている。原稿はもう無い。そういえばゴミ箱の中からも無くなっていた。無意識のうちにゴミに出したのだろうか。もうどうだっていい話だが。僕は目を閉じた。
「宗一郎、久しぶりだな。半年ぶりか。なあ、何であのとき、俺の話を聞いてくれなかったんだよ。」
「冬樹?お前、何でこんなところにいるんだよ。そこ、危ないぞ。崖じゃないか。もう少しこっちへこい。」
「ねえ、宗一郎。俺との約束をすっぽかして、どこに行ってたんだ。俺はお前の中でその程度の人間だったってことか。辛かったのに。苦しくて、お前に助けてほしくて、勇気を出してメールしたんだぞ。」
「すまない。すまなかった。あの日僕がお前の所に行っていれば、お前は今頃。」
「そうだ。それなのにお前は沙夏や皆と楽しく生きてる。そんなの、ずるいじゃないか。何で俺を追い詰めたお前がそうやって笑ってるんだよ。許さない。絶対に許さない。お前もこっちへ来いよ。」
「冬樹!」
冬樹はそう言って僕の胸ぐらを掴み、崖から飛び降りた。
「うわあっ。」
夢だった。呼吸が早くなる。
「冬樹、ごめん。ごめん。ごめんなさい。許して。許してください。」
返事は無かった。
ああ、そうか。冬樹と同じ所に行かないと、伝えることは出来ないのか。明日、直接謝りに行こう。
次の日、僕は冬樹のお墓参りをした。最近、誰かが来たのだろうか。とてもきれいになっていた。花も新しくなっていた。オレンジ色の花が供えてある。冬樹はオレンジ色の似合うやつだった。あいつが笑うと僕も笑顔になれて、嫌なことがあってもあいつに話をしたら気が楽になった。沙夏と同じだ。
「冬樹、許してくれ。ここじゃお前に直接伝えることは出来ないから、今からそっちへ行くよ。」
僕はあの展望台に登った。そして、綺麗な夕日を眺めながら、柵に足をかけてゆっくりとその力を抜き、乗り出した上半身へと体重をかけていった。
「そうっち、大丈夫だったかな?めっちゃ暗かったよね。」
「ああ。あんな宗一郎、見たことねえな。」
琉希はその日、奈波に呼び出されて、部屋の掃除を手伝い、その礼としてカフェで食事をおごってもらっていた。沙夏にふられたことへの気分転換をしたいと言ったが、本当は宗一郎のことが気がかりだったからだ。ここ一週間ほど、メールをしても返ってこないし、電話にも出ない。そんなこと初めてだったから、奈波にも相談しようと誘ったのだ。奈波もやはり気になっていたらしく、話を切り出したのは奈波のほうだった。
「沙夏にも色々聞いてみたんだけど、何でもないの一点張りだった。そうっちもメール見ないしさ。」
「奈波のメールもか。良かった、俺が嫌われた訳じゃあ無いんだな。」
「それは無いと思うけど、ちょっと心配だよね。ねえ、これから沙夏も誘ってここで話聞かない?私達だって、二人の友達じゃん。あの子、あんまり自分のこと話してくれないからさ、この際洗いざらい話してもらおうよ。」
「いやあ、でも無理矢理聞き出すのも悪いって言うか。」
「あんたはふられたから会うのが気まずいだけでしょう。」
「うっ。」
「じゃあ、電話してみる。」
しばらくして、奈波が席に戻ってきた。
「沙夏、十分くらいで来るってさ。」
「分かった。」
しばらくして、沙夏が来た。だが、少しいつもと様子が違うことに琉希は気がついた。
「沙夏、お前どうした。少し変じゃないか。何かあったんだな。話してみろよ。」
「で、でも。」
「いいから、話せ。お前、俺たちに気をつかってるのか知らねえけど、何も言ってくれない方が俺らは不安になるし、それにお前は大事な俺らの友達なんだ。何があっても見方でいてやるよ。な。」
「そうだよ。沙夏も、そうっちも、大事!だから、怖がらずに話してほしい。」
「うん。あのね。」
それから沙夏はこれまで何があったのか、冬樹の事も含めて二人に話した。
「そうだったのか。」
「それであの日、そうっちあんな感じになってたんだね。」
「冬樹さんのことは、バスケの試合とか合同練習でよくお世話になったから知ってた。今年亡くなった事も。それで前に一度、元南野中学バスケ部のメンツでお墓参りに行ったら、あいつがいたんだ。見間違えじゃなかったんだな。」
「まじか。そうっち、沙夏のこと聞いて、また罪悪感を感じてそう。」
「それで、沙夏はそうなんだよ。あいつのこと、どう思ってるんだ。」
「私は、初めに宗一郎がお兄ちゃんを知ってるって知ったときにはびっくりしたし、二人の間にあったことを、詳しく知っている訳じゃないけど、あの日のきっかけになってしまったって宗一郎から聞いて、戸惑った。もちろん、宗一郎がお兄ちゃんに会いに行ってくれていたら未来は変わったかもしれないって考えたら、悔しい気持ちもあったよ。嘘であってほしいって思った。けど、今はもう皆と一緒にいられることが心の救いになってるし、宗一郎のことを恨むとか、憎く思うとか、そんな気持ちは一切ないよ。それに、お兄ちゃんだって、宗一郎のこと大好きだと思う。」
そういって沙夏は、一冊のアルバムと日記を取り出した。
「これ、お兄ちゃんが亡くなる直前まで書いていた日記。宗一郎と会えなくなってもずっと気にしてたみたい。話を聞いた日に、お兄ちゃんの家に行ってみたら、見つけたの。」
「そうか。」
「そんなことがあったんだ。そうっち、辛かったよね。今まで。最近は笑ってくれるようになったけど、最初の頃はあんまり笑えてなかったね。」
「うん。私と初めて会ったとき、きっと宗一郎も飛び降りようと思って屋上に来たんだと思う。私は奈波とその日喧嘩してさ、お兄ちゃんのこともあって、ちょっとやけくそになっただけだったけど。飛び降りるつもりなんて鼻から無かったし。でも、宗一郎は、そうじゃなかった。苦しかったんだと思う。」
それぞれが、宗一郎に対して、色んな思いを抱いた。だが、彼を助けたいと思う気持ちは同じだった。
「ねえ、そういえば沙夏はさっき、何でちょっと血相かかえた感じだったの?そうっちに関係してること?」
「そうだ!あのね、私さっき、お兄ちゃんのお墓参りに行ったの。そしたら宗一郎がいて、お墓にこれ、置いてったの。」
それは、冬樹に向けての手紙だった。兄に向けての手紙を読むのは少し気が引けた沙夏だったが、気まずくて隠れて遠目に見ていた宗一郎の横顔が、なぜかいつもと違って見えた。それがなんだか嫌な予感がして、開いて読んでいたら奈波から電話が来たのだった。
「これって、あいつ。」
「そうっち、もしかして、死ぬ気じゃん。」
「やっぱり、そうだよね。」
「やべえよ。沙夏、あいつ、どこ行ったんだ?」
「分からない。どうしよう。宗一郎がお兄ちゃんみたいに。」
「ばかなこと言うんじゃねえよ。見かけたときに声かけなかったのか。」
「ちょっと気まずくて。でも、心当たりならあるかもしれない。」
「どこ?」
「展望台。」
「ここからどのくらいだ?」
「お兄ちゃんのお墓のすぐ近くだから、十五分くらい!」
「行こう!琉希、早く。」
「ああ、分かってる。走るぞ。」
三人は、手紙に書いてあった宗一郎のこれまでの心の痛みと、思いを知った。そして、最後に書かれた『今行くから。』の文字を見て、走り出した。