シロツメクサの約束~恋の予感噛みしめて~
 彼に渡されて、私は時間外の診察に申し訳なさを感じ必死になってボールペンを走らせた。

 迷惑をかけているのは重々承知している。

 その間受付のカウンターの中での会話が耳に届く。

「あの、私今日はどうしても残れなくて」

「いいよ。清算と片付けは俺がしておくから」

「いいんですか? じゃあ、お願いします」

 明らかにほっとした声を出した受付の女性は「お疲れさまでした」と言うと、風のようにさっさと帰った。

 男性がカウンターの中からこちらに歩いてくる。

「稲美さん、今日は助手も受付もすでに帰宅した後なので私ひとりでの対応になりますが、よろしいでしょうか?」

「はい……治してくれるならなんでもいいです! ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

 私は藁にも縋るつもりで、ふたつ返事をした。

 実は私は虫歯になりやすい体質だ。そのせいで小さな頃は定期健診もかかさずにいた。

 しかし社会人となった後は忙しくて定期健診に通う時間が取れずに放置していたら、急に歯が痛み出したのだ。

 子供たちに「歯磨きしましょう」って言ってるのに、これじゃダメね。

 私が働くのは、ここから数駅先にある【さくら第三幼稚園】だ。今は年長組の担任をしている。子供たちに囲まれて過ごす職場は楽しいが、命を預かる責任があり大変だ。

 子供たちが帰った後も、お遊戯会の準備やお便りの作成。数え上げればきりがないほどいつも仕事は山積みだった。

 帰宅後も保育計画を立てたり、苦手なオルガンの練習をしたりと時間が許す限り仕事にまい進していた。

 その結果がこれだ。少し今までの生活の在り方をみなおすべきときなのかもしれない。
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