オムライスは甘口で
職場を出て、電車に乗って三十分ほど。
一人暮らしをしているアパートの最寄り駅のひとつ手前で途中下車する。駅前の古びた商店街を五分ほど歩いたところで右に折れる。
裏通りにひっそりと軒を構えるその洋食屋には『よりどり亭』という看板がかかっていた。
レンガ調の外壁に木目の綺麗なドア。ひっそりとした佇まいは都会の中にポツンと現れた秘密の隠れ家のよう。
真鍮のドアノブを押すと入口のベルが鳴る。店の中に入ると五十代の温かみのある声色の女性が出迎えてくれた。
「何名様ですか?」
「ひとりです」
「カウンターのお席にどうぞ」
美雨は案内されたカウンター席に座った。
艶々のニスがかかった赤みがかった木製の椅子だ。カウンターテーブルも同じしつらえだ。古いけれど決して不潔ではない。どちらも加工されて何年も経つのに、幾重にも年輪を重ねたような木の温もりが感じられた。
お水とお手拭き、食具の入った籐のバスケットが運ばれてくると、美雨はメニューを見ることなくホールの女性に注文を頼んだ。
「すみません。オムライスひとつください」
「かしこまりました。メニューお下げしますね」
美雨は両手でグラスを持ち、水を飲みながらながら店内の様子に目を凝らした。
金曜の夜とあって人は多くはない。飲み屋街が近くにあるので、そちらに流れているのだろう。
店主の趣味なのかいつもご機嫌なジャズがかかっていて、つい指でリズムをとりたくなる。穏やかな海のような包容力。
(ああ、やっぱり落ち着くなあ……)
美雨の肩からふっと力が抜けた瞬間のことだった。