モノクロに君が咲く
枯桜病は、不治の病だという。
何年ほど前だったか、一時期やたらと世間を騒がせていた病だ。
突如現れた未知の病。枯桜病なんていうやたらと美談じみた俗称をつけられたのも、各種メディアで話題にのぼりやすくするためだ。
そもそも罹患者が少ないこともあり、原因も治療法もいまだ確立されていない。
枯桜病の患者に共通しているのは、時と共に全身の機能が衰退していくこと。そして、眠ったまま死に至ることだろう。
死に近づくにつれ睡眠時間が増える。最期には痛覚もほぼ機能しなくなっているため、痛みも苦しみも感じることなく、ただ穏やかに眠るのだという。
──……それを、理想の死に方だという奴がいる。
枯桜病について調べている最中、たまたまそういったことを書いている記事を見つけてしまった。無性に苛立ちを覚えながらさらに調べていくと、案外少なくない数の人々がそう定説していることを知った。SNSでもときおり、あまりにも軽々しく、自分もそんなふうに死にたいとつぶやいている人がいる。
なぜ、そんなことを言えるのか。
俺にはどうしても理解できなかった。
人の死は、存外すぐそばにあるものだ。
それは命あるものに必然と付き纏う宿命でもある。
身近な人間に限定せずとも、世界では一秒にふたり人が死んでいると言うし、生きている限り自分だって決して例外ではない。
怪我も病もなく寿命を全うし、いわば老衰で死ぬことができる人間なんてほとんどいないのだ。今この瞬間だって、もしかしたら体のなかのどこかは病に浸蝕されているのかもしれない。二分後には命を危ぶむ事故に遭っているかもしれない。
なぜ人は、そういうゼロではない可能性に自分は含まれないと思ってしまうのか。
なかば八つ当たり気味に走らせていた鉛筆をぴたりと止めて、俺はおもむろに立ち上がった。格子窓を開けると、途端に夏のむわりとした生温い空気が流れ込んでくる。
……夏は、嫌いだ。
「あっつ……」