ひとりでママになると決めたのに、一途な外交官の極上愛には敵わない
***

「ままぁ」
「え、あ……」

 エプロンの裾をぐいっと引っ張られてはっとした。いけない、夕飯の支度の途中だったんだ。
 ちゃぶ台に食器を並べながら、いつの間にか意識が別のところに飛んでしまっていたみたい。

 拓翔(たくと)の前ではいつも通りにしなければ。そう何度も自分に言い聞かせたじゃない。

「どうしたの?」

 しゃがんで目線を合わせながら尋ねると、モミジのような手が差し出された。

「たっくん、すぷん、しゅゆー」
「拓翔が並べてくれるの?」
「あい!」

 精いっぱい縦に振られた小さな頭をひと撫でし、スプーンを手渡す。
 拓翔はスプーンをいつも私たちが座る場所へと置いていき、満面の笑みで振り返った。

「まま、でちた!」
「すごい! よくできたね、拓翔」

 近寄ってぎゅっと抱きしめると、くすぐったそうにきゃっきゃと笑いながら身をよじる。

 分娩中に胎児の心拍が低下したときは本当にどうなることかと不安でいっぱいで神様に祈るばかりだったけれど、こうして元気に育ってくれていて本当にうれしい。
 無事に泣き声を聞いたときの安堵は今も忘れられない。

 膝に乗る拓翔を見ながら、昼間に会ったあの人を思い出した。

 拓翔の目もとは私に似ているとよく言われるけれど、艶のある黒髪や口もとは父親譲り。耳の形なんかは間違いなくあの人――櫂人さんのものだ。

 来月二歳になる息子は、私にとってなにより大切な存在。たった一度きり、初めて彼と過ごしたプロポーズの夜に私のところに来てくれた、神様からの贈り物だ。

 二十四歳の朝を彼と迎えた日、プロポーズのことをどう切り出そうかとドキドキしながら帰宅した私を出迎えたのは、険しい顔をした祖父だった。

 友人と出かけると嘘をついたことがバレたのかもしれない。
 背中がひやりとした。

 幼いときに両親を事故で亡くし、母の実家に引き取られた私にとって、祖父は父親のような存在だ。
 高校生のときに祖母が他界して以降、男女交際に厳しいことを言われるため、櫂人さんと付き合っていることは黙っていた。
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