ひとりでママになると決めたのに、一途な外交官の極上愛には敵わない
 約三年前、私は別れの口実に『他に好きな人ができた』と嘘をついた。
〝悪いのは私で、決してあなたじゃない〟
 真実を隠したままでそれを叶えるために、ほかの理由が思い浮かばなかった。

 恨んでくれた方がいい。私のことなんて早く忘れて、輝かしい未来を歩んでほしい。

 そう思う一方で、私自身は彼のことを忘れた日なんて一日もなく、涙を流した日も少なくはない。そんな中で、彼との間に授かった拓翔は心のよりどころだった。

 黙ったままの私をどう思ったのか、彼は眉間のしわをほどき、「ふっ」と自嘲するかのように笑った。

「物わかりのいいふりをして、あきらめの悪い男だと幻滅されたくなかったんだ、きみに。そのくせ心の中は後悔だらけ……格好悪いよな」
「そんなことは」
「ない、なんてことはない。きみが心変わりしたのも当然のことだ。だけどまさかその相手が亡くなるなんて」

『違う』と言いかけた言葉を無理やりのみ込んだ。

 彼は私が別れる口実にした〝他の好きな人〟と結婚して拓翔を産み、そしてその人が亡くなったのだと思っている。
 その誤解を今すぐ解いてしまいたい衝動をこらえ、下唇をきゅっと噛みしめる。

 車内がしんと静まり返った。重たい沈黙の中、彼がゆっくりと顔を正面に戻し、車が走りだす。そこでやっと私は車が赤信号で止まっていたことに気づいた。

 彼の視線は外されたというのに、私は金縛りにあったかのように微動だにできない。ただフロントガラス越しに流れる景色を目に映すだけ。すると隣から低く静かな声が聞こえてきた。

「こんな俺のこと、嫌いになったんじゃないか?」
「嫌いになんてなりません」

 言葉が口を突いて出た。
 嘘で塗り固めたせいでなにも言えずにいたけれど、やっと本当のことが口にできた。

「ありがとう」

 彼の言葉が重たい空気をふわりと溶かす。詰めていた息をそっと吐き出した。

「さやか。きみに折り入って頼みがあるんだ」
「え?」

 思わず隣を見ると、彼はまっすぐ前を向いたまま口を開く。
 聞こえた言葉に大きく目を見開いた。


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