変 態 ― metamorphose ―【完】
楽しいことと、気持ちいいこと。

綴には、それだけを感じていてほしいと思っていた。

だって、それ以外は誰だって感じたくないものだから。

いいものだけを与える存在でいたかった。
いらないものを与えるような存在にはなりたくなかった。

だけど、綴は聞いてくれた。

ママの事故の日の後悔も、人とは違う家庭環境の話も。
聞いたってちっとも楽しくない話を聞いて、下手くそな弾き語りで励ましてくれた。

綴は快楽だけをあたしに求めているような、そんな人じゃなかった。

湿った目尻をこすって三回鼻をかむと、鼻先はひりひりと痺れた。

「チカくんだったら。チカくんだったら、いっしょに背負いたい?」

「背負わせてくれない方が、ずっと哀しい」

嫌じゃなくて、哀しいと言うところがチカくんらしい。
あたしは少しだけ笑った。

「チカくん……。あたし、いま検査してもいいかな。こんなことお願いするのも恥ずかしいけど、ひとりだと、やっぱりこわくて……」

チカくんは一瞬だけ驚いたように目を見開いてから、穏やかに「うん。わかった」と言った。


いまのこの状況は、チカくんに背負わせてることになるな。

トイレの扉がぱたんと閉まった瞬間、あたしはやっとそのことに気づいた。
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