復讐の螺旋
第十一話 希望
ホームレスの朝は早い、主にアルミ缶を集めて生計を立てている者たちにとって自分の縄張りの資源を他の誰かに横取りされる事は命に関わってくる。
東京と埼玉の間を流れる荒川の河川敷に蒲田敦のブルーシートとダンボールで出来たテントはあった。
早朝四時、東の空がうっすらと白み始めた頃にテントを後にするといつものコースを自転車を押しながら回る。
自動販売機の横にあるゴミ箱からアルミ缶を回収すると使い古したゴミ袋に入れていく、本来ならこの場でアルミ缶を潰していければ体積が四分の一くらいになるのだが、以前近隣の住人にうるさいと警察を呼ばれてからは河川敷に戻ってから潰すようにしている、ゴミ箱を撤去されてしまっては本末転倒だ。ルートを周り終わると五時間が経過していた、さらにアルミ缶を潰して業者に換金してもらうと大抵お昼を過ぎる。
この日の収穫は千二百円だった、良い時には二千円を超えるので蒲田はガックリと肩を落とした。
「厳しいねえー」
振り返ると前歯のない老人がコチラを向いて歯茎を見せている、一度名前を聞いたがもう忘れてしまった。
「段々と稼げなくなってきたよ、この辺はもう厳しいかもな」
ポケットからタバコを取り出して火を付けると思い切り吸い込んだ。
「わしはもう移動するような体力はないよ、ここでお陀仏だ」
歯茎を剥いて笑うとタバコを一本無心してきたが聞こえなかったフリをしてその場を去った。
「チッ」
後ろから舌打ちが聞こえたが構うことなく先を急いだ、今日は月に一度のスーパー銭湯に行ける日だ、少しでも長い時間をそこで過ごさないともったいない、いくら居座っても金額
は一緒なのだ。
最低限の身なりを保つ為に体は毎日公園の水道で洗っている、二着しか無い洋服も交互に洗っては着替えているおかげで見た目でホームレスだと思われる事は無いだろう。
二十五歳でこんな生活を始めてからすでに四年が経とうとしている、派遣の仕事で食いつないでいた頃が天国のようだ。
不幸なんてものは一気に押し寄せてくる、腰を痛めて力仕事がまったく出来なくなると「もう仕事は回せない」とあっさり首を切られた、同じタイミングで住んでいたボロアパートは老朽化によって取り壊される事が決まった。
無職の中卒に貸してくれるアパートなど存在しなかった、それは就職に限っても同じ事が言える。
ハローワークに行ってもまずは住居を構えることが出来ないと登録すら出来ないという、その住居を借りるために仕事を探しているのにコイツラは何を言っているのだろう。
理不尽な世の中に激昂する頃もあったが今ではすべてを諦めていた。
人殺しの人生なんてこんなもんだろう――。
歩いて一時間かけてスーパー銭湯にたどり着くと受付で七八〇円を支払い男湯の暖簾をくぐった、平日の昼間なので客足も少ないが逆にこんな時間に入浴している人達は一体なんの仕事をしているのかと不思議に思った。
たっぷりと時間を掛けて入浴してサウナに入る、水風呂とサウナを交互に入り頭がボーッとしてきた所で風呂をでた。
館内着に着替えるとフードコートに向かいドリンクバーで無料の水をなみなみと注いだ。
『生ビール 六〇〇円』
キンキンに冷えてます、とポスターに書かれた文字を見て喉が鳴ったが、どう考えても今の蒲田には高すぎた。
「どうです一杯」
突然声を掛けられたのでそれが自分に対するものなのかどうか判断出来なかったが、隣には背の高い三〇代くらいの男がジョッキを飲む仕草でコチラを見ていた。
「え、おれ?」
自分の事を指差すと男は頷いた。
「サウナ、ずいぶん長いこと入ってましたね、完敗です。良ければ一杯奢らせてくれませんか」
勝負している気など全くなかったが、サウナーの中には自分より先に入っていた奴よりは後に出るとか、狙いを決めた奴よりも長く入るなど自分ルールを用いて楽しんでいる人間もいた、おそらくコイツもそのタイプだろう。
「じゃあ、折角なんで」
渡りに船とはこの事だ、遠慮せずにご馳走になろう。
「あそこに席を取っておきました、行きましょう」
店の一番奥にあるボックス席を指さした、どうやら話し相手にされるようだ。
「完敗に乾杯」
男は蒲田のジョッキに合わせながらそう言うと一気に半分ほど飲み干した、若く見えるがしょうもないダジャレを言う所をみると以外に歳がいっているのかもしれない。
「よく来るんすか」
男に質問しながらジョッキを傾けるとキンキンに冷えた液体が乾いた喉を締め付けてゆっくりと胃に収まった。あっという間に空になってしまう。
「良い飲みっぷりですねー、どうですかもう一杯」
男は蒲田の質問には答えずボタンで店員を呼ぶと「生二つ」と笑顔で告げた。
「若いのに大した根性ですよ、仕事は何を?」
別に知らないおっさんに見栄を張る必要もないので蒲田は自分の素性を余すことなく正直に話した。
「もったいないなあ」
男は顎に手を当てて考え込むと、名案が閃いた時にホームドラマの主人公がするような仕草で手を叩いた、どこか芝居がかっているように見えるが気のせいだろうか。
「僕のアシスタントをやりませんか?」
結局ジョッキビールを五杯づつ呑んだ所でやっと男は立ち上がる、まだ呑んでいってください、と一万円札を二枚と自分の名刺をテーブルに置くと、右足を引きづりながら去っていった。
『㈱ white clover
代表 二之宮 高貴』
「ニノミヤタカキ?」
名刺を見ながら蒲田は一人呟く、そしてコレは自分に突如やってきた千載一遇のチャンスかもしれないと感じた。
そう考えると何もなかった蒲田の未来に希望の光が差し込んだような気がした――。
二之宮高貴の事務所は赤羽駅東口の商店街を抜けて五分ほど歩いた場所にあった。
古い雑居ビルの案内板には『㈱white clover 』の文字が5Fと書かれた横にある、エレベーターで五階にまで上がるとノックをしてから扉を開けて中に入った、狭い事務所なので入るとすぐに二之宮が確認出来た。
「こんにちは」
内心では本当に来たのか、と迷惑そうな態度を取られてしまうのではないかとビクついていたが、蒲田の姿を確認した二之宮はパッと笑顔になって立ち上がった。
「よく来てくれたね敦くん、待っていたよ」
パーテーションで囲われた応接室に通されると革張りのソファに腰掛けた、二之宮が目の前に座る。
「もっと大企業の社長なんじゃないかと期待したろ?」
二之宮の雰囲気から、正直もう少し洗練された感じの会社かと思ったが口には出さない。
「いえいえ、とんでもないです、それより先日はありがとうございました」
お釣りが出たので返しに来ましたと言ってポケットから一万円札と千円札を三枚テーブルに置いた、本当は喉から手が出るほど欲しかったがこうした方が印象が良いと思い決断した。
「馬鹿正直な奴だなあ、そんなん取っときなさいよ、でもやはり僕の見込んだ通り君は良い人間だね」
そう言うと札を二つに折って蒲田に手渡した。
「ありがとうございます、正直助かります」
本当に助かる。
「ここに来たってことはアシスタントの件を引き受けてくれるって事で良いんだよね」
二之宮がジッとコチラを見つめて問いかけてきた。
「あの、非常にありがたいのですが、先日お話したように家もない上に中卒の自分に出来ることなんてあるんでしょうか」
そう言った所でパーテーションの扉にノックがあり、若い女性がお茶を持って入って来た。
スラリと背の高いファッションモデルのような女性は意志の強そうな目で蒲田を見つめた、一瞬どこかで見た事がある様な気がしたが自分にこんな綺麗な知り合いがいるはずないと頭の隅に追いやる、彼女はお茶を蒲田の前に置くと二之宮の隣に腰掛けた。
「いやー、会社なんて偉そうなことを言ってるけど従業員はこの子ともう一人、若い男の子がいるだけなんだ」
「二之宮 愛美です」
彼女が座ったまま頭を下げて挨拶をした。
「えっと、二之宮って」
「ああ、そうなんだ、私の娘でね」
なるほど、整った顔立ちも背の高さも父親の遺伝という訳か、しかし親子と言うほど似ているかと言わると疑問が湧いた、きっと顔は母親似なのだろう。
「何が出来るかって話だったね」
二之宮が話を戻してくれた。
「仕事はこの子が一から教えるからゆっくりと覚えて貰えば良い、中卒でも覚える気があれば出来るはずだ」
隣に座る愛美が笑顔で頷いた。
「家なんだが僕が所有しているアパートの一室が空いているからそこに引っ越して来れば良い、綺麗とは言い難いが今の所よりはマシだろう、家賃は無料だ」
なんてありがたい話だ、それだけに気になった。
「なぜ自分にそんなに良くしてくれるのでしょうか」
二之宮は少し考えてから話しだした。
「敦くんは初対面の僕の話に嫌な顔せずに付き合ってくれたよね、実は私の仕事はそれが非常に大切な事なんだよ」
後は単純に敦くんの事が気に入ったからだと付け加えた、どっちにしても住む家と仕事、最大にして実現不可能に思えた難題が一気に二つ解決した事になる。
「二之宮さん、本当にありがとうございます」
蒲田は深々と頭を下げた。
「うーん、二之宮は二人いるからさ、コウキさんで良いよ」
タカキではなくてコウキだったか。
「それと愛美、今から彼のスーツを一緒に買いに行ってくれるか、三着も有ればいいだろう、領収書持ってきてね」
「わかりました」
愛美はそう言うと、行きましょうと敦を促した。
その日の内にアパートに案内されると今日から住んで良いという事で河川敷のハウスから必要な荷物を持ってきた、帰り際に歯の抜けた老人にハウスを使って良いと伝えると飛び跳ねて喜んでいた。
ワンルームのアパートは高貴の言う通りあまり綺麗ではなかったが風呂とトイレが付いているだけで蒲田に取っては何よりの贅沢だ、カーテンレールにかかった新品のスーツを眺めながら、蒲田は誓った。
ここから、これから新しい人生を始めるんだ、死にものぐるいで働いて人並みの幸せを手に入れようーー。
東京と埼玉の間を流れる荒川の河川敷に蒲田敦のブルーシートとダンボールで出来たテントはあった。
早朝四時、東の空がうっすらと白み始めた頃にテントを後にするといつものコースを自転車を押しながら回る。
自動販売機の横にあるゴミ箱からアルミ缶を回収すると使い古したゴミ袋に入れていく、本来ならこの場でアルミ缶を潰していければ体積が四分の一くらいになるのだが、以前近隣の住人にうるさいと警察を呼ばれてからは河川敷に戻ってから潰すようにしている、ゴミ箱を撤去されてしまっては本末転倒だ。ルートを周り終わると五時間が経過していた、さらにアルミ缶を潰して業者に換金してもらうと大抵お昼を過ぎる。
この日の収穫は千二百円だった、良い時には二千円を超えるので蒲田はガックリと肩を落とした。
「厳しいねえー」
振り返ると前歯のない老人がコチラを向いて歯茎を見せている、一度名前を聞いたがもう忘れてしまった。
「段々と稼げなくなってきたよ、この辺はもう厳しいかもな」
ポケットからタバコを取り出して火を付けると思い切り吸い込んだ。
「わしはもう移動するような体力はないよ、ここでお陀仏だ」
歯茎を剥いて笑うとタバコを一本無心してきたが聞こえなかったフリをしてその場を去った。
「チッ」
後ろから舌打ちが聞こえたが構うことなく先を急いだ、今日は月に一度のスーパー銭湯に行ける日だ、少しでも長い時間をそこで過ごさないともったいない、いくら居座っても金額
は一緒なのだ。
最低限の身なりを保つ為に体は毎日公園の水道で洗っている、二着しか無い洋服も交互に洗っては着替えているおかげで見た目でホームレスだと思われる事は無いだろう。
二十五歳でこんな生活を始めてからすでに四年が経とうとしている、派遣の仕事で食いつないでいた頃が天国のようだ。
不幸なんてものは一気に押し寄せてくる、腰を痛めて力仕事がまったく出来なくなると「もう仕事は回せない」とあっさり首を切られた、同じタイミングで住んでいたボロアパートは老朽化によって取り壊される事が決まった。
無職の中卒に貸してくれるアパートなど存在しなかった、それは就職に限っても同じ事が言える。
ハローワークに行ってもまずは住居を構えることが出来ないと登録すら出来ないという、その住居を借りるために仕事を探しているのにコイツラは何を言っているのだろう。
理不尽な世の中に激昂する頃もあったが今ではすべてを諦めていた。
人殺しの人生なんてこんなもんだろう――。
歩いて一時間かけてスーパー銭湯にたどり着くと受付で七八〇円を支払い男湯の暖簾をくぐった、平日の昼間なので客足も少ないが逆にこんな時間に入浴している人達は一体なんの仕事をしているのかと不思議に思った。
たっぷりと時間を掛けて入浴してサウナに入る、水風呂とサウナを交互に入り頭がボーッとしてきた所で風呂をでた。
館内着に着替えるとフードコートに向かいドリンクバーで無料の水をなみなみと注いだ。
『生ビール 六〇〇円』
キンキンに冷えてます、とポスターに書かれた文字を見て喉が鳴ったが、どう考えても今の蒲田には高すぎた。
「どうです一杯」
突然声を掛けられたのでそれが自分に対するものなのかどうか判断出来なかったが、隣には背の高い三〇代くらいの男がジョッキを飲む仕草でコチラを見ていた。
「え、おれ?」
自分の事を指差すと男は頷いた。
「サウナ、ずいぶん長いこと入ってましたね、完敗です。良ければ一杯奢らせてくれませんか」
勝負している気など全くなかったが、サウナーの中には自分より先に入っていた奴よりは後に出るとか、狙いを決めた奴よりも長く入るなど自分ルールを用いて楽しんでいる人間もいた、おそらくコイツもそのタイプだろう。
「じゃあ、折角なんで」
渡りに船とはこの事だ、遠慮せずにご馳走になろう。
「あそこに席を取っておきました、行きましょう」
店の一番奥にあるボックス席を指さした、どうやら話し相手にされるようだ。
「完敗に乾杯」
男は蒲田のジョッキに合わせながらそう言うと一気に半分ほど飲み干した、若く見えるがしょうもないダジャレを言う所をみると以外に歳がいっているのかもしれない。
「よく来るんすか」
男に質問しながらジョッキを傾けるとキンキンに冷えた液体が乾いた喉を締め付けてゆっくりと胃に収まった。あっという間に空になってしまう。
「良い飲みっぷりですねー、どうですかもう一杯」
男は蒲田の質問には答えずボタンで店員を呼ぶと「生二つ」と笑顔で告げた。
「若いのに大した根性ですよ、仕事は何を?」
別に知らないおっさんに見栄を張る必要もないので蒲田は自分の素性を余すことなく正直に話した。
「もったいないなあ」
男は顎に手を当てて考え込むと、名案が閃いた時にホームドラマの主人公がするような仕草で手を叩いた、どこか芝居がかっているように見えるが気のせいだろうか。
「僕のアシスタントをやりませんか?」
結局ジョッキビールを五杯づつ呑んだ所でやっと男は立ち上がる、まだ呑んでいってください、と一万円札を二枚と自分の名刺をテーブルに置くと、右足を引きづりながら去っていった。
『㈱ white clover
代表 二之宮 高貴』
「ニノミヤタカキ?」
名刺を見ながら蒲田は一人呟く、そしてコレは自分に突如やってきた千載一遇のチャンスかもしれないと感じた。
そう考えると何もなかった蒲田の未来に希望の光が差し込んだような気がした――。
二之宮高貴の事務所は赤羽駅東口の商店街を抜けて五分ほど歩いた場所にあった。
古い雑居ビルの案内板には『㈱white clover 』の文字が5Fと書かれた横にある、エレベーターで五階にまで上がるとノックをしてから扉を開けて中に入った、狭い事務所なので入るとすぐに二之宮が確認出来た。
「こんにちは」
内心では本当に来たのか、と迷惑そうな態度を取られてしまうのではないかとビクついていたが、蒲田の姿を確認した二之宮はパッと笑顔になって立ち上がった。
「よく来てくれたね敦くん、待っていたよ」
パーテーションで囲われた応接室に通されると革張りのソファに腰掛けた、二之宮が目の前に座る。
「もっと大企業の社長なんじゃないかと期待したろ?」
二之宮の雰囲気から、正直もう少し洗練された感じの会社かと思ったが口には出さない。
「いえいえ、とんでもないです、それより先日はありがとうございました」
お釣りが出たので返しに来ましたと言ってポケットから一万円札と千円札を三枚テーブルに置いた、本当は喉から手が出るほど欲しかったがこうした方が印象が良いと思い決断した。
「馬鹿正直な奴だなあ、そんなん取っときなさいよ、でもやはり僕の見込んだ通り君は良い人間だね」
そう言うと札を二つに折って蒲田に手渡した。
「ありがとうございます、正直助かります」
本当に助かる。
「ここに来たってことはアシスタントの件を引き受けてくれるって事で良いんだよね」
二之宮がジッとコチラを見つめて問いかけてきた。
「あの、非常にありがたいのですが、先日お話したように家もない上に中卒の自分に出来ることなんてあるんでしょうか」
そう言った所でパーテーションの扉にノックがあり、若い女性がお茶を持って入って来た。
スラリと背の高いファッションモデルのような女性は意志の強そうな目で蒲田を見つめた、一瞬どこかで見た事がある様な気がしたが自分にこんな綺麗な知り合いがいるはずないと頭の隅に追いやる、彼女はお茶を蒲田の前に置くと二之宮の隣に腰掛けた。
「いやー、会社なんて偉そうなことを言ってるけど従業員はこの子ともう一人、若い男の子がいるだけなんだ」
「二之宮 愛美です」
彼女が座ったまま頭を下げて挨拶をした。
「えっと、二之宮って」
「ああ、そうなんだ、私の娘でね」
なるほど、整った顔立ちも背の高さも父親の遺伝という訳か、しかし親子と言うほど似ているかと言わると疑問が湧いた、きっと顔は母親似なのだろう。
「何が出来るかって話だったね」
二之宮が話を戻してくれた。
「仕事はこの子が一から教えるからゆっくりと覚えて貰えば良い、中卒でも覚える気があれば出来るはずだ」
隣に座る愛美が笑顔で頷いた。
「家なんだが僕が所有しているアパートの一室が空いているからそこに引っ越して来れば良い、綺麗とは言い難いが今の所よりはマシだろう、家賃は無料だ」
なんてありがたい話だ、それだけに気になった。
「なぜ自分にそんなに良くしてくれるのでしょうか」
二之宮は少し考えてから話しだした。
「敦くんは初対面の僕の話に嫌な顔せずに付き合ってくれたよね、実は私の仕事はそれが非常に大切な事なんだよ」
後は単純に敦くんの事が気に入ったからだと付け加えた、どっちにしても住む家と仕事、最大にして実現不可能に思えた難題が一気に二つ解決した事になる。
「二之宮さん、本当にありがとうございます」
蒲田は深々と頭を下げた。
「うーん、二之宮は二人いるからさ、コウキさんで良いよ」
タカキではなくてコウキだったか。
「それと愛美、今から彼のスーツを一緒に買いに行ってくれるか、三着も有ればいいだろう、領収書持ってきてね」
「わかりました」
愛美はそう言うと、行きましょうと敦を促した。
その日の内にアパートに案内されると今日から住んで良いという事で河川敷のハウスから必要な荷物を持ってきた、帰り際に歯の抜けた老人にハウスを使って良いと伝えると飛び跳ねて喜んでいた。
ワンルームのアパートは高貴の言う通りあまり綺麗ではなかったが風呂とトイレが付いているだけで蒲田に取っては何よりの贅沢だ、カーテンレールにかかった新品のスーツを眺めながら、蒲田は誓った。
ここから、これから新しい人生を始めるんだ、死にものぐるいで働いて人並みの幸せを手に入れようーー。