復讐の螺旋
第十八話 執行
「ちょっとどうしたのよその顔?」
スーパーのバックヤードに入るや、五十嵐さんが雅美の顔をみて近づいてきた。
「ちょっと旦那と揉めてまして」
隠す必要もない、むしろ離婚する良いキッカケになるだろう。
「あんたそれDVじゃないのよ、可哀想にこんなに腫れちゃって」
五十嵐さんは傷に触れないように顔を撫でる仕草をする、見た目程痛くはないがインパクトはあるだろう、先程は春華を送りに行った保育園で先生やお母さんに質問攻めにあった。
店長が手招きをして呼んでいる、何を言われるかは大体想像がつく。
「伊東さんちょっと大丈夫ですか?」
「ええ、見た目ほど痛くはないんですよ」
「それは良かったけどー、いや良くはないな、どっちにしてもその顔でレジ打ちは厳しいんじゃないかな」
「ですよねえ」
「今日は裏方で棚卸しとか手伝っていってよ、大丈夫かな?」
「ええ、もちろん大丈夫です」
店長の元を離れるとアルバイトのシフト表に目をやる、聖斗くんは今日もお休みのようだ。
この顔を見られたくない思いと、心配して欲しい思いがないまぜになって混乱していた。
「そう言えば聖斗くん、辞めたんだってね」
五十嵐さんの世間話が聞こえてきてすぐに振り返った、同年代のアルバイトのおばさんと話し込んでいる。
「どーいうことですか? やめたって」
強引にその話の輪に入っていった。
「いや、なんか昨日急に電話があったみたいよ、ねえ店長」
聞き耳を立てていた店長がすぐに答える。
「そうなんですよ、なんでも急に親の仕事を継がなくてはならなくなりましたなんて言ってさあ、困っちゃうよなあ」
心臓の鼓動がどんどん大きくなり隣の人に聞こえていないか心配になった。
『お前みたいなブスをあんな若い男が相手にするはずないだろうが!』
昨日、陽一郎に言われたセリフが頭の中を駆け巡る、急いでスマートフォンを取り出すと聖斗くんにラインを打った。
『スーパー辞めちゃったんだね、言ってくれたら良かったのに』
既読にはならないが取り敢えず様子をみるしかなかった。
あまり仕事が手につかないまま時間は過ぎていった、一六時になりスーパーを後にすると放心したまま自転車置き場に向かった、ラインに返信がないどころか既読にすらなっていなかったがこれから春華を迎えに行かなくてはならない。
「伊東雅美さんですか?」
突然、声を掛けられて振り返ると三十代後半くらいのスーツを着た細身の男性が立っていた。柔和な笑みを浮かべている。
「突然すみません、二之宮聖斗の父親で二之宮高貴と申します」
男性は深々と頭を下げて頭頂部を見せた。
「えっ、あっ」
聖斗くんの名前を出されて動揺する、言葉がうまく出てこない。
「聖斗がいつもお世話になっております」
男性はもう一度、頭を下げた。
「いえ、お世話だなんてとんでもない、コチラこそお世話になっております」
男性はニッコリと笑うと少しお時間を頂けませんかと聞いてきた、春華のお迎えにはまだ三十分以上あるし聖斗くんの動向も知る事が出来るかもしれない。
「ええ、大丈夫ですよ」
「ありがとうございます、すぐに済みますので」
男性は良く見るととても整った顔をしていた、さすが聖斗くんのお父さん、と思ったが似ているかと言われると微妙だった。
「実は聖斗が事故に合いましてね」
「え?」
「いやすみません、事故と言っても大した事はないんです。ちょっと交通事故に巻き込まれましてね。足をポキっと」
骨折したという事だろうか、頭がパニックになっていた。
「ええ、その時にスマートフォンも粉々になってしまいまして、雅美さんと連絡が取れなくなってしまったと言う訳です」
そうだったのか、ここ数日連絡がないのは理由があったのだ。
「それでですね、なんとか雅美さんに自分の状況を知らせて欲しいという事で私が派遣されたと言う訳です」
「そうだったんですねー、えー良かった、怪我は大したことなかったんですよね」
「ええ、そうなんですが歩く事が出来ませんので退院してからは草津にある別荘で療養しています」
雅美はほっと胸を撫で下ろした、良かった、自分の事を避けていた訳じゃないんだ。それだけでなくそんな大変は状況にも関わらず、お父さんにお願いしてまで雅美に知らせてくれた事が嬉しかった。
「わざわざありがとうございます、聖斗くんが無事で何よりです」
深々と男性にお辞儀をした。
「いえいえ、一向に構いませんよ、所で差し出がましいとは思うのですが……その傷は」
自分の頬を撫でながら男性が質問してきた、隠しても仕方がないと思い旦那に殴られたと正直に答えた。
「そうでしたか、うちの息子が原因ですね?」
雅美は大げさに首を振った。
「違います、あたしの問題です、聖斗くんは何も関係ありません本当です」
必死に訴えかけると男性は悲しげな表情になる。
「そうですか、見た所最近できた傷のようですが」
「昨夜です」
「今日もそのままご自宅に戻られるのですか?」
「はい、他に行く所もありませんし娘もいますので……」
「雅美さん、ここからは聖斗の父親としてではなく仕事として助言させて頂きます」
そう言うと男性は懐から黒い手帳を取り出し開いて見せた。
『警部補 二之宮高貴』
ドラマで見た事がある所作だった、聖斗くんの父親は刑事だったのか。なんだか誇らしい気持ちになる。
「DVの再犯率は八十%を超えます、これは治らない僻と言い換えても良いでしょう」
「そんなに……」
「そのうちエスカレートしていくと娘さんにまで被害が及ぶかもしれません」
「さすがに春華には」
陽一郎は春華を溺愛している、さすがに手を出すとは考えにくい。
「いえ、みなさんそうおっしゃるのですが彼らは突発的に手が出ますので、死亡した例も多数報告されています」
「そんな」
昨日の激昂した陽一郎を思い出して怖くなった。
「そこで提案なんですが、しばらく僕の別荘に身を隠したらどうでしょう?」
「え?」
「先程話した草津の別荘です、少し距離を取るのも大事な事ですよ。聖斗もいますし温泉は顔の傷にもいいでしょう」
「え、でも、そんな図々しい事をお願いする訳には」
「気になさらないでください、どうせ大して使っていない別荘ですから、それに雅美さんがいれば聖斗も安心する」
突然あった人にそこまで頼って良いのだろうか、しかし警察官であるという事が雅美を多少安心させた、何より聖斗くんに逢えるという魅力に抗うことが出来なかった。
雅美はアルバイト先の店長にしばらくお休みさせて欲しい胸を伝えた、快く快諾してもらえると次に保育園に春華を迎えに行く。
「明日からしばらくお休みしますので」
理由も告げずに保育園の先生に伝えると少し不審な素振りを見せたがそれ以上何も突っ込んで来ることはなかった。
「春華あしたから保育園いかないの?」
「うん、ちょっとお出かけするからね、ごめんね」
「お出かけ好きー」
家に帰ると大急ぎで旅行カバンに着替えや生活用品を詰め込んだ、まだ陽一郎が帰ってくる時間ではないが少しでも早くこの家を出たかった。
大荷物を抱えて大通りに出ると「プッ」とクラクションが鳴った、その方向を見ると黒いワンボックスの運転席に二之宮高貴が座っている。
「後ろ開けますから、荷物入れちゃいましょう」
高貴は雅美の荷物を抱えると後ろから積んでいった、三列シートの一番後ろは折りたたんで荷物置きになっている。
「じゃあ後ろの席に乗ってください」
スライドドアを開けると席が二つあってご丁寧に一つにはチャイルドシートが設置してあった。
「すごい、チャイルドシートまで付いてるんですね」
「ええ、聖斗が使っていたものですが」
「へええ、これに聖斗くんが」
チャイルドシートに座る小さな聖斗くんはさぞや可愛かったに違いないだろう。
すぐに高速に乗ると車はスピードに乗って目的地に向かって走り出す、もうすぐ聖斗くんに逢えると思うと胸が踊った。
「三時間くらいはかかるので眠っていても良いですからね」
高貴が出してくれたペットボトルのお茶を飲みながら外の景色を見ていると段々ウトウトしてきた、そう言えば昨日はあんな事があったのであまり寝ていない。
チャイルドシートに座る春華も先程から船を漕いでいる、お言葉に甘えて少し寝かせてもらおう、そう思った時にはすでに雅美は夢の中にいた。
スーパーのバックヤードに入るや、五十嵐さんが雅美の顔をみて近づいてきた。
「ちょっと旦那と揉めてまして」
隠す必要もない、むしろ離婚する良いキッカケになるだろう。
「あんたそれDVじゃないのよ、可哀想にこんなに腫れちゃって」
五十嵐さんは傷に触れないように顔を撫でる仕草をする、見た目程痛くはないがインパクトはあるだろう、先程は春華を送りに行った保育園で先生やお母さんに質問攻めにあった。
店長が手招きをして呼んでいる、何を言われるかは大体想像がつく。
「伊東さんちょっと大丈夫ですか?」
「ええ、見た目ほど痛くはないんですよ」
「それは良かったけどー、いや良くはないな、どっちにしてもその顔でレジ打ちは厳しいんじゃないかな」
「ですよねえ」
「今日は裏方で棚卸しとか手伝っていってよ、大丈夫かな?」
「ええ、もちろん大丈夫です」
店長の元を離れるとアルバイトのシフト表に目をやる、聖斗くんは今日もお休みのようだ。
この顔を見られたくない思いと、心配して欲しい思いがないまぜになって混乱していた。
「そう言えば聖斗くん、辞めたんだってね」
五十嵐さんの世間話が聞こえてきてすぐに振り返った、同年代のアルバイトのおばさんと話し込んでいる。
「どーいうことですか? やめたって」
強引にその話の輪に入っていった。
「いや、なんか昨日急に電話があったみたいよ、ねえ店長」
聞き耳を立てていた店長がすぐに答える。
「そうなんですよ、なんでも急に親の仕事を継がなくてはならなくなりましたなんて言ってさあ、困っちゃうよなあ」
心臓の鼓動がどんどん大きくなり隣の人に聞こえていないか心配になった。
『お前みたいなブスをあんな若い男が相手にするはずないだろうが!』
昨日、陽一郎に言われたセリフが頭の中を駆け巡る、急いでスマートフォンを取り出すと聖斗くんにラインを打った。
『スーパー辞めちゃったんだね、言ってくれたら良かったのに』
既読にはならないが取り敢えず様子をみるしかなかった。
あまり仕事が手につかないまま時間は過ぎていった、一六時になりスーパーを後にすると放心したまま自転車置き場に向かった、ラインに返信がないどころか既読にすらなっていなかったがこれから春華を迎えに行かなくてはならない。
「伊東雅美さんですか?」
突然、声を掛けられて振り返ると三十代後半くらいのスーツを着た細身の男性が立っていた。柔和な笑みを浮かべている。
「突然すみません、二之宮聖斗の父親で二之宮高貴と申します」
男性は深々と頭を下げて頭頂部を見せた。
「えっ、あっ」
聖斗くんの名前を出されて動揺する、言葉がうまく出てこない。
「聖斗がいつもお世話になっております」
男性はもう一度、頭を下げた。
「いえ、お世話だなんてとんでもない、コチラこそお世話になっております」
男性はニッコリと笑うと少しお時間を頂けませんかと聞いてきた、春華のお迎えにはまだ三十分以上あるし聖斗くんの動向も知る事が出来るかもしれない。
「ええ、大丈夫ですよ」
「ありがとうございます、すぐに済みますので」
男性は良く見るととても整った顔をしていた、さすが聖斗くんのお父さん、と思ったが似ているかと言われると微妙だった。
「実は聖斗が事故に合いましてね」
「え?」
「いやすみません、事故と言っても大した事はないんです。ちょっと交通事故に巻き込まれましてね。足をポキっと」
骨折したという事だろうか、頭がパニックになっていた。
「ええ、その時にスマートフォンも粉々になってしまいまして、雅美さんと連絡が取れなくなってしまったと言う訳です」
そうだったのか、ここ数日連絡がないのは理由があったのだ。
「それでですね、なんとか雅美さんに自分の状況を知らせて欲しいという事で私が派遣されたと言う訳です」
「そうだったんですねー、えー良かった、怪我は大したことなかったんですよね」
「ええ、そうなんですが歩く事が出来ませんので退院してからは草津にある別荘で療養しています」
雅美はほっと胸を撫で下ろした、良かった、自分の事を避けていた訳じゃないんだ。それだけでなくそんな大変は状況にも関わらず、お父さんにお願いしてまで雅美に知らせてくれた事が嬉しかった。
「わざわざありがとうございます、聖斗くんが無事で何よりです」
深々と男性にお辞儀をした。
「いえいえ、一向に構いませんよ、所で差し出がましいとは思うのですが……その傷は」
自分の頬を撫でながら男性が質問してきた、隠しても仕方がないと思い旦那に殴られたと正直に答えた。
「そうでしたか、うちの息子が原因ですね?」
雅美は大げさに首を振った。
「違います、あたしの問題です、聖斗くんは何も関係ありません本当です」
必死に訴えかけると男性は悲しげな表情になる。
「そうですか、見た所最近できた傷のようですが」
「昨夜です」
「今日もそのままご自宅に戻られるのですか?」
「はい、他に行く所もありませんし娘もいますので……」
「雅美さん、ここからは聖斗の父親としてではなく仕事として助言させて頂きます」
そう言うと男性は懐から黒い手帳を取り出し開いて見せた。
『警部補 二之宮高貴』
ドラマで見た事がある所作だった、聖斗くんの父親は刑事だったのか。なんだか誇らしい気持ちになる。
「DVの再犯率は八十%を超えます、これは治らない僻と言い換えても良いでしょう」
「そんなに……」
「そのうちエスカレートしていくと娘さんにまで被害が及ぶかもしれません」
「さすがに春華には」
陽一郎は春華を溺愛している、さすがに手を出すとは考えにくい。
「いえ、みなさんそうおっしゃるのですが彼らは突発的に手が出ますので、死亡した例も多数報告されています」
「そんな」
昨日の激昂した陽一郎を思い出して怖くなった。
「そこで提案なんですが、しばらく僕の別荘に身を隠したらどうでしょう?」
「え?」
「先程話した草津の別荘です、少し距離を取るのも大事な事ですよ。聖斗もいますし温泉は顔の傷にもいいでしょう」
「え、でも、そんな図々しい事をお願いする訳には」
「気になさらないでください、どうせ大して使っていない別荘ですから、それに雅美さんがいれば聖斗も安心する」
突然あった人にそこまで頼って良いのだろうか、しかし警察官であるという事が雅美を多少安心させた、何より聖斗くんに逢えるという魅力に抗うことが出来なかった。
雅美はアルバイト先の店長にしばらくお休みさせて欲しい胸を伝えた、快く快諾してもらえると次に保育園に春華を迎えに行く。
「明日からしばらくお休みしますので」
理由も告げずに保育園の先生に伝えると少し不審な素振りを見せたがそれ以上何も突っ込んで来ることはなかった。
「春華あしたから保育園いかないの?」
「うん、ちょっとお出かけするからね、ごめんね」
「お出かけ好きー」
家に帰ると大急ぎで旅行カバンに着替えや生活用品を詰め込んだ、まだ陽一郎が帰ってくる時間ではないが少しでも早くこの家を出たかった。
大荷物を抱えて大通りに出ると「プッ」とクラクションが鳴った、その方向を見ると黒いワンボックスの運転席に二之宮高貴が座っている。
「後ろ開けますから、荷物入れちゃいましょう」
高貴は雅美の荷物を抱えると後ろから積んでいった、三列シートの一番後ろは折りたたんで荷物置きになっている。
「じゃあ後ろの席に乗ってください」
スライドドアを開けると席が二つあってご丁寧に一つにはチャイルドシートが設置してあった。
「すごい、チャイルドシートまで付いてるんですね」
「ええ、聖斗が使っていたものですが」
「へええ、これに聖斗くんが」
チャイルドシートに座る小さな聖斗くんはさぞや可愛かったに違いないだろう。
すぐに高速に乗ると車はスピードに乗って目的地に向かって走り出す、もうすぐ聖斗くんに逢えると思うと胸が踊った。
「三時間くらいはかかるので眠っていても良いですからね」
高貴が出してくれたペットボトルのお茶を飲みながら外の景色を見ていると段々ウトウトしてきた、そう言えば昨日はあんな事があったのであまり寝ていない。
チャイルドシートに座る春華も先程から船を漕いでいる、お言葉に甘えて少し寝かせてもらおう、そう思った時にはすでに雅美は夢の中にいた。