さくらの記憶
「こ、これは…」

いつの間に来たのか、祖父が北斗の隣で呆然と木の様子を見つめる。

やがて、焼け落ちた屋根が降ってきて、危ない!と北斗は祖父を遠ざける。

そして、もう一度木を振り返った北斗は、目を見開いて息を呑んだ。

バリバリッと音を立てながら、大きな屋根の塊が、滑るように木の方へ落ちてくる。

「さくらっ!」

北斗は飛びついて、さくらを木から引き離した。

勢い余って地面に倒れ込んだ二人のすぐ後ろに、大きな音を立てて屋根が落ちる。

「さくら!大丈夫か?!」

腕の中のさくらの顔を覗き込む。

「ええ、大丈夫」

良かった…と、北斗が安堵して腕を緩めた時だった。

さくらが北斗の腕を振りほどいて立ち上がると、再び木に走り寄り、幹に腕を伸ばす。

「さくら、危ない!もうやめるんだ!」

北斗が肩を掴んでも、さくらはびくともしない。

必死に目を閉じて、木に力を送っている。

その表情はいつしか苦しげに歪み、額からもとめどなく汗が流れ落ちていた。

「さくら!やめろ!お前の身体が持たない!」

降ってくる火の粉を払い、さくらを庇いながら、北斗が耳元で叫ぶ。

だが、さくらはいっこうに力を緩めない。

「諦めろ!さくら!」
「いや!」

火の勢いはますます強くなり、桜の木の枝も飲み込まれそうになっている。

少しでも枝に燃え移れば、一気に木はやられてしまうだろう。

「お願い…助けて…」

さくらは、肩で苦しそうに息を逃しながら、全身全霊を込める。

「もうやめろ!やめるんだ、さくら!」

北斗の悲痛な叫びが響き渡った時、ようやく消防車が滑り込んできた。

「早く、あそこに放水を!」

祖父が、桜の木を指差す。

ホースから一斉に放たれた水は、桜の木に燃え移ろうとしていた屋根の端の炎を一気に消した。

「…よかっ…た」

呟きながら、さくらがその場に崩れ落ちる。

「さくら!」

北斗は慌てて抱き留めた。

「さくら、さくら?聞こえるか、しっかりしろ!」
「さくらちゃん!」

祖父も必死でさくらの手を握る。

「…北斗さん、おじいさん、無事?」

うっすらと目を開けて、さくらが問いかける。

「ああ、大丈夫じゃよ。さくらちゃんのおかげだ」

さくらは、微笑んで頷いた。

北斗は、こぼれそうになる涙をこらえると、さくらを抱き上げて屋敷の玄関へと向かう。

消防車の後ろを通り、玄関の棚に置いてあった車のキーを掴むと、鍵を開けてさくらを乗せた。

リクライニングを倒し、シートベルトを締める。

さくらは、苦しげに肩で息をしていた。

「さくらを病院に連れて行く」

北斗は、祖父を真っ直ぐ見据えてそう告げる。

それはつまり…さくらの記憶が。

祖父は小さく息を吐いてから、ゆっくりと頷いてみせた。
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