さくらの記憶
「滝田社長、いらっしゃいませ」

エントランスに入ってきた年配の男性に、さくらは微笑んで頭を下げる。

「あー、不動産事業部の栗林さんを」
「かしこまりました。少々お待ち頂けますか?」

さくらは、すぐさま栗林に内線電話をかけた。

「受付の高山です。滝田不動産の滝田社長がお見えです」
「えー、また?もう、いっつもアポ取らずに来るんだもんなあ、あの人。仕方ない、すぐ行きます」
「承知致しました」

電話を切ったさくらは、にっこりと滝田に笑顔を向ける。

「お待たせ致しました。栗林が参りますので、もう少々あちらのソファでお待ち頂けますか?」

すると滝田は、仏頂面のまま無言でソファの方へ行き、ドサッと座った。

「うーわー、相変わらずね。名乗りもしないしアポも取らないし。昔ながらの俺様社長って感じ」
「はるかー、だめよ」

笑顔で正面を見ながら、さくらは小声で遥を咎める。

「はいはい。受付嬢はどんな時も笑顔でね、でしょ?」
「そうよ。あと、私語も厳禁よ」
「それは大丈夫。私、にっこりしたまま口を動かさずにしゃべってるから」

さくらは、ちらりと遥を横目で見る。

「どう?上手いでしょ?」

確かに口角を上げて、笑顔のまま話している。

「凄い技ね」
「まあね、腹話術師にでもなろうかしら」

さくらは思わず吹き出しそうになり、慌ててうつむくと、気を取り直して正面に笑顔を向ける。

と、ソファに座る滝田の様子が気になった。

背もたれにグッタリと身体を預けており、顔色も良くない。

(今日は気温が高いのに、冬用の背広…。それに、全く汗もかいていない)

「少し席を外します」

隣の遥にそう言うと、さくらはカウンターテーブルが並ぶ壁際に行き、自動販売機で冷たいミネラルウォーターを買った。

「失礼致します。滝田社長、よろしければこちらをどうぞ」

そう言って、目を閉じてグッタリしていた滝田にペットボトルを差し出す。

「ああ、ありがとう」

受け取ろうとするのを見て、さくらは、
「今キャップを開けますね」
と言いながら、キュッとひねって開けた。

「どうぞ」

滝田は、ゴクゴクと一気に飲み始める。

「はあ、美味しい。生き返ったよ」
「今日は気温も高いので、そのお水はどうぞそのままお持ちになっていてください。熱中症にならないよう、こまめにお飲みくださいね」
「あ、そうか。さっきまでしんどかったのは、熱中症になりかかってたのか」
「おそらく。よろしければ、上着も脱いで涼しくなさった方がよろしいかと」
「そうだな、ありがとう」

上着を脱ぐのを手伝っていると、栗林がやって来た。

「滝田社長、お待たせ致しました」
「ああ、急に悪いね」
「いえいえ」

二人がエレベーターに乗り込むのを、さくらはお辞儀をして見送った。
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