恋心は消しゴムの中に
桜が散ってから1ヶ月。
新しい制服がやっと馴染んできて、本格的に高校の授業が進んでいく中で、私の隣の席の彼──春丘陽(はるおか よう)はいつも何かを探していた。
ゴソゴソ。ガサガサ。
引き出しを漁り、カバンの中を漁り、なぜか制服のポケットも漁っている。
現代文の授業が始まった最中、春丘くんはありとあらゆる場所を忙しなく覗き込んでいる。
もちろん気にならないわけがない。
またか……と思いつつ、私は春丘くんのほうに顔を向けて、ため息混じりに問う。
「また?」
たった2文字を口にすると、春丘くんは目を細めヘラリと笑う。
その笑顔はまるで、ボールを投げそれを咥えて持ってきた後にヨシヨシ待ちをしている犬のようだった。
歯を出すと見える鋭く尖った犬歯がより一層犬っぽさを物語っている。
「今度は何?」
先生に怒られない声量で聞く。
「……筆箱」
春丘くんは頭をかきながら照れくさそうに小さく口にする。
全然照れることではない。むしろ申し訳なさそうにしてくれたほうが文脈に合っている。
「いつもすんません、三崎(みさき)さん」
申し訳ないと全く思っていない春丘くんが、両手のひらを私に向けていつものように求めてくる。
呆れたため息をこぼしながら、春丘くんに何度貸したかわからない、シャーペンと消しゴムと三色ボールペンの3つを自分の筆箱から取り出す。
そして、当然のように出されている手の平に置く。
「あざーす」
人に物を借りておきながら、春丘くんは略して更に棒線も加わった、ありがとうございますを気分よく口にする。
調子のいい春丘くんが物を忘れるのは日常茶飯事。
そう。私の隣の席の春丘くんは忘れ物常習犯なのだ。
今日は筆箱を忘れたが、昨日は世界史のノートを忘れて、一昨日は数Aの教科書を忘れていた。
春丘くんは時間割を知らないのか?そもそも時間割を見る習慣がないのか?
いや、見ても見なくても彼はいつだって置き勉している。置き勉しているくせにピンポイントで次の日の授業の教科書やノートを持って帰って、案の定家に忘れて来るのだ。
もう一層のことカバンごと学校に置いて帰ってくれないだろうか。
「三崎さんの三色ボールペン書きやすくていいね!」
私の心情なんて読めない春丘くんは、またそう言って私が貸した三色ボールペンをノートの隅にクルクルと書いてインクの無駄遣いをする。
「春丘くんはいつになったら物忘れせずに学校に来るのかな?」
「んー、わかんないや」
「なんでわかんないかな……春丘くんが気を付けていれば忘れ物なんてしないはずなのに」
「そうだよね、気を付けたいと思ってはいるんだけど」
春丘くんは気を付けている素振りなんて一切見せたことないのに、気をつけているなどという戯言を吐く。
本当に困った人だ。
「だって、俺の隣が三崎さんなのが悪いと思うんだよね」
──はい?
春丘くんの舌の上で滑り落ちるように零れた言葉に、思わず目が点になる。
「三崎さんなんでも貸してくれるし、なんでも持ってるから、三崎さんがいるし大丈夫だ!って思っちゃうんだよね」
「要するに春丘くんが忘れ物してしまうのは、私のせいだと?」
「いや!いやいや!そうじゃないけどさ!そうじゃないけど……三崎さんの物借りたら退屈な授業も頑張れるんだよね!」
そう言ってまた春丘くんは歯を全開に出して笑顔を向けてくる。
その屈託のない笑顔と、春丘くんに物だけだけど頼られていることに嬉しいとさえ感じて、またちゃんと怒れずに今日も許してしまう。
「明日はなに忘れよっかな〜」
「忘れる気満々じゃん」
踊るようにそう口にする春丘くんに目を細め見る。
「高校生活最初の隣の席が三崎さんでよかった!」
嘘偽りのない真っ直ぐな目と言葉に魅せられ、私はまた明日も許してしまうのだろう、と明日の自分を想像したら可笑しくて笑みがこぼれた。
1ミリも悪いと思っていない清々しいほどの春丘くんの笑顔を見てると、満開に咲く桜を思い出してしまう。
まだここだけ桜は散っていないような気がした。
春丘くんは知らないだろう。
私が筆箱に沢山のペンを入れていることも、いつでも貸せるように消しゴムが2つ入っていることも。
家を出る前に3回も持ち物を確認していることも。
春丘くんはなんでも持っていると私を買い被っているが、中学時代の私は春丘くんと一緒でよく忘れ物をしていた。
だけど、そんなことも春丘くんは知らない。
───明日も貸してあげるからずっと春丘くんが隣の席だったらいいのに。
私の淡いこの気持ちも。
貸す度に角が丸くなり小さくなる消しゴムに嬉しくなることも、それを見て明日も学校が楽しみだと思うことも。
もちろん春丘くんは知らない。
いつか言えるだろうか。
───好きです。
その告白を、消しゴムを初めて貸した時みたいに笑顔で言えるだろうか。
真っ直ぐに伝えれるまで、私はもう少し春丘くんに物を貸したいな。
< 1 / 2 >