恋心は消しゴムの中に
高校の入学式。新しいクラス、初対面の同級生にみんな緊張しているのか、空気が張り詰めていた。
隣に座る彼女──三崎舞(みさき まい)もそうだった。
『……あれ?』
入学初日から遅刻しバタバタしていた俺は、珍しく忘れ物をしてしまった。筆記具だ。
筆箱ごと忘れるなんて何しに学校に来たんだ。平然を装っていたがどうやら俺も緊張していたようだ。
初対面の同級生にペンを借りるなんて初日から図々しいと思われないだろうか……そう悩んでいた俺の目の前にピンク色のシャーペンが机の上をコロコロと転がっていた。
驚いて隣に視線を移すと、口角をほんのり上げて笑う彼女が俺を見つめていた。
『筆箱忘れたんでしょ?私もよく忘れるんだ。それ使っていいよ』
机の端に貼られた名前を確認する。
『ありがとう、三崎さん』
お礼を言うと、三崎さんは目がなくなるほど笑って頷いた。
『消しゴムもあるよ、私今日いっぱい持ってきたんだよね』
パンパンに膨らんだ筆箱から、静かな教室内には似合わないガサゴソという音を立て、筆箱の僅か隙間から新品の消しゴムを渡してくれる。
『新しいけど、いいの?』
『うん、いいよ。お近づきの印に新品貸してあげる』
桜が舞う春の季節に見合った彼女の笑顔は、俺の緊張した鼓動からまた違う新しい鼓動へと呆気なく変えてしまったんだ。
恋が芽生える瞬間って、こういうことを言うんだと思った。
その日使った新しい消しゴムは右端の角だけを丸くした。そして次の日は、左端の角を丸くした。
三崎さんに構われたくて、隣の席という特権を十分に使いたくて、俺は毎日ありとあらゆる忘れ物を繰り返した。
それでも三崎さんは、しょうがないなと言いながらやっぱり貸してくれる。そして最後には、入学初日に見せたあの笑顔で笑ってくれるのだ。
そして、桜が散ってから1ヶ月。
隣で帰る支度をしている三崎さんに気づかれないように、散々丸くしてしまった消しゴムのカバーを外す。
そして4つ折りにした小さなメモを忍ばせ、またカバーを付け直す。
「三崎さん、今日も貸してくれてあざす」
「言っても無駄だろうけど、明日は忘れないでね」
三崎さんは知らないだろうけど、俺はいつも故意に忘れ物をしている。
それでも表面上は忘れ物をした体で振る舞う。
「気を付けるね」
気を付けない。明日も忘れ物はする。
「どうだか。じゃあまた明日ね、春丘くん」
「また明日!」
三崎さんは気づくだろうか。
俺が消しゴムのカバーの中に忍ばせたメモを。
───好きです。
このメッセージに三崎さんが気づくまで、俺の忘れ物は止まない。
どこまであの消しゴムを使い続けたら、三崎さんは気づくだろうか。
気づいた時、三崎さんはどんな反応をするのだろうか。
そんなことを想像するだけで、緊張と高揚で胸が高鳴った。
「明日は何忘れようかな〜」
三崎さんが隣の席でいてくれる限り、俺はきっと明日の学校生活も謳歌できる。
そんな俺の淡い気持ちがいつか三崎さんに届くまで、もう少し三崎さんの物を借りたいな。
[完]