「大好き♡先輩、お疲れ様です♡」溺愛💕隣りのわんこ系男子!

第15話 常盤舜社長視点「野坂さん、今日も綺麗だね」2

 よく晴れた朝、部屋の窓からはなかなかの眺望が広がっていた。
 遠くに連なる山々と富士山が赤い東京タワーがガラス越しに見えた。
 明るい陽光が注げばそれだけで、気分が上がる。

『俺は君のことがずっと好きだったんだ』
『野坂さん、今日も綺麗だね、可愛いね。素敵だよ』
 ……なんて口には気軽に出せず、伝えられずにもどかしい。

 こんな想いを相手に告げずにいつまでも胸の中に抱えているのは、俺らしくないよな。

 淹れたエスプレッソの香りがすっきりと目を覚まし、ゆったりとした気分を誘う。

 俺はそうか、……休日だったな。

 ああ、しかし今日も忙《せわ》しなく人が活動しているな。

 見飽きることがない東京の景色は、昔遊んだブロックのおもちゃの街みたいだなと思う。
 高い場所から望むと動く車や人もミニチュア模型の世界の一部のようだ。
 一点集中で所々に鎮守の森があり、あちこちに点在している。
 生きた樹木とタワーやビル群なんかの人工物との融合――、東京の面白さの一つかなと思う。

 面白い。
 そう肌に感じ、そう思う。
 東京は嫌いじゃない。お気に入りのカフェも景色も遊びに行く洒落た店も、好きな場所はあちこちにある。
 東京はわりと好きだと言える。

 好きな街の一つ。
 
 なのに、この時々ある閉塞感はなんだろうか。

 ここは目新しさや活気と洗練さと華やかさがある面と、曇り歪んだ鏡に映したように一つ道を違《たが》えば汚れが目立つ。
 ごちゃごちゃととした物が混在した都会の闇。
 ある一方は陽で、ある一方は陰で、抱え併せ持つ。
 この見えている世界はお洒落で素敵なとこばかりじゃない、見て見ぬ振りをするガラクタやゴミが散らばる治安の悪い場所も多いのだ。

 金を払えばひと時の賑やかさも味わえるがそれは仮り初めで。
 偽りの楽しい時間が終われば虚しく、孤独も広がる。

 息苦しさを感じると地方に旅に出掛けたくなるのは、俺が社長職をどこかですべて受け入れられていないのか。
 俺もいい加減、……諦めればいいのに。
 運命に飲み込まれて染まってしまえばいいのに抗って、自分が自分であることを必死で表そうとしている。
 流れに逆らい、泥沼の濁流に飲まれ埋もれそうになるのをこらえて出ようと足掻くみたいだ。

 だが、仕事は面白い――。
 会社経営は面白くて気づけば夢中になっている。
 母の手駒にはなりたくないのに、所詮俺は父や母と同じ仕事人間なのかもしれない。

 身体や心が疲弊していたって、周りに言われるまで気づかないほど好きな仕事はやめられないし、のめり込む。
 仕事の中毒になってるのか、寝る時間ですら惜しくてソワソワしてしまう。
 不眠症の気があったから、医師からは仕事はほどほどにし周りにもっと任せて休養を取るように注意を受けてきた。
 俺には仕事をすることが唯一の喜びなのに、それを制限しろって? 冗談じゃない。
 そう思っていた。

 ……でも、だ。
 野坂さんに想いの欠片を告げてからはどこか甘い気分に包まれている。
 彼女のことを思い出すと、芳醇で口当たりの良いワインを飲んだ時みたいな心地良さが襲う。軽い酔いに似たふわふわとした感情が湧き上がる。

 諦めて胸のずっと奥に隠して、消し去ったはずの秘めた思い。

 好きだってまた、確信する。
 俺は野坂さんが好きなんだ、忘れられてなどなかった。

 こんな甘い気持ち。
 そして胸がぎゅっと苦しくもある。
 彼女と愛し合って、あの華奢な体をこの腕のなかに引き寄せ、抱き締めたい。
 それは容易くも思えた。反して到底叶わない夢にも思えた。

 心の鎧を外して、自分の素直な気持ちを曝《さら》け出す。
 真正面から彼女に向き合うべきだと、心がいう。
 偽ってカッコばかりつけていたら、彼女はいつまで経ったって俺のものにはならない。

 今はまだ、野坂さんは城ヶ崎君に一番近いだろうから。

 俺が自宅でくつろいでいると、突然の訪問があった。
 その相手は俺の家の合い鍵を持った人物――。
 俺が心を許している数少ない人間のうちの一人だ。
 渡してあった鍵で扉を開け、コイツは好きな時に出入《ではい》り出来る相手。

「ただいま」
「お帰り。元気だったか?」

 昨日、タケルが日本に帰って来ていた。
 タケルはうちの社のニューヨーク支店で働く、俺の"はとこ"にして幼馴染みだ。

「ああ、すこぶる元気だ。舜、お前は? 疲れてんじゃねえの?」
「大丈夫、普段通りだ。しっかしタケル、お前は相変わらずだな。マメに連絡も寄越さんし。昨日、日本に着いたんだったら、うちにすぐ来れば良いのに」
「あ〜。ま、まあさ、昨夜《ゆうべ》は空港そばのホテルに泊まったから」
「そうか。なんだ、連絡をくれたら迎えをやったのに水くさいやつだな」
「いや、あのな。……気にすんな、連れがいたから」
「連れ? 女性か?」
「ああ。だからさあ、連絡はしなかった」
「へえ〜。ニューヨークから一緒にか?」
「……舜、お前さ。社内恋愛禁止とか野暮なこと言うなよ?」
「言わないよ。お前が社内の人間と? ふーん、タケルが社内恋愛ねえ」
「恋人と職場先でも顔を合わせるのは窮屈かと思っていたんだ。オンオフつかなくなるのは嫌だったしさ。だけど惚れちまった」
「結婚は?」
「分からん。向こうはどうも俺はボーイフレンドの一人らしいから」
「自由恋愛主義な女性なのかな?」
「そうだな、自由奔放だから振り回されてるぜ。彼女、そもそも結婚には興味がなさそうだからな。フランスとかではポピュラーになってるらしいんだけどさ、結婚しないカップルが二人の子供を協力して育てたりするのが彼女の理想らしい」
「俺はちょっとな。……色々後で揉めそうじゃないか?」
「なっ? 日本じゃまだまだだろうなあ。融通の利かない手続きに縛られてしまうから、婚姻関係が無いといざって時には困りそうだよな。たとえば入院とか手術とか遺産問題とかさ」
「現実的で生々しいな。結婚や恋愛に夢が無くなる」
「それ、お前が言うかぁ? 最初っから結婚とか恋愛に夢なんて持ってないだろ?」
「……そんなことはない。今は……」

 ソファに座ったタケルに珈琲を淹れ渡してやる。タケル好みの砂糖とミルクたっぷりのやつだ。

「んっ、サンキュー。……美味い。さすが我がはとこ殿、俺の好みを熟知していらっしゃる。また、この家でしばらく世話になるな」
「ああ。好きに使ってくれ」

 以前は利便性を考えて、タケルと部屋をシェアしていた。
 二人で住んでいると会社で起きたトラブルや面倒な厄介事にもすぐに対処が出来たし、母親の過干渉もタケルがいると楽に回避できた。

「舜お前、さっき『今は』って言ってたよな? どういう心境の変化だよ」
「野坂さんに気持ちを伝えた」
「野坂? 野坂ってまさかあの野坂茜音ちゃん? 懐かしいなあ」

        🌹

「ふ〜ん。まだ忘れられてなかったわけ? お前は茜音ちゃんに本気なんだ。……彼女がうちの会社で働いていたとは驚きだね」
「彼女が入社してたのは知ってた。あの当時は俺、人事部にいたし。彼女の時の面接は俺がやったわけじゃないけどな」
「大学時代の片思い、か。焼けぼっくいに火が着いちまったか、はたまたずっと胸の奥底で野坂さんへの愛が燻《くすぶ》っていたのか」

 タケルは以前使っていた部屋にスーツケースを運んでいる。
 俺はタブレットで急ぎの案件がないかメールのチェックをし、新聞に目を通す。

「お前じゃなかったら、野坂さんの時の面接は誰だった?」
「たしか……、母さんと各部の部長の面々だったかな」
「おばさんが直々に?」
「たまたま暇だったんじゃないのか。もしくはふと湧いた好奇心かもな? 常盤グループの未来を担う若者をこの目で見ときたいなんていう。母さんは気まぐれなところがあるからな。あの人の行動は予測不能で頭が痛いよ、俺は」
「だよな。おばさん、けっこう自由奔放だかんな。そういや舜は、おばさんにあらゆる部署を勉強させられてたっけ」
「ああ、勉強にはなったよ。社員の本音を感じ取れたり、現場の空気を知れたから。社内に蔓延《はびこ》る派閥とか社員同士の仲とか、……いざこざなんかもな。現状把握は大切だとは思った」
「へいへい、熱心だったもんな。お前も俺もチャラチャラしてたのに、今ではクソ真面目に仕事に熱中して、会社の歯車になって躍起になってる。変わったよな〜」
「ああ、まあ。大人になったというか諦めがよくなったというか。……丸くなったような、昔より保守的で臆病になったのかもしれん」
「経験上、ダメージが少なく済むように用意周到さを身につけたわけだよな。若さだけで突っ走るのはもうしんどくなってくんのかな〜。やだやだ、無気力なおっさんにはなりたくねーな。……で、お前の愛の告白に茜音ちゃんの返事は?」
「なるべく接触はしないようにしてたけど、社長と社員だからな。たまに顔は合わせるだろ? 反応はまるでなし。こっちはドキドキしてんのにな。そもそも野坂さんは俺のことを覚えてない、全然気づいてやしなかった」

 タケルが俺の顔をニヤニヤしながら覗き込む。
 俺のことをからかってやるとほくそ笑んでいるのだろう。
 はあ〜、完全にコイツに弱みを握られたな。

「舜、俺がなんで本社に呼び戻されたと思う?」

 しばらくタケルは東京本社で俺のサポート業務をするという。

「社長補佐をこなすというより、俺の監視役――。タケルは密偵だろ? 母さんの」
「そっ。お前が分かりみが早くて助かるわ。俺は会長の手下でありながらも、舜の友達でもある。俺はお前の味方でいたい」
「相変わらず矛盾してるな。俺の敵で味方とは。だけど、今度はタケルや母さんの言い成りにはなるつもりはない」
「舜って一途だったんだな。だが、悪い虫をつけるなとのご命令なのでね。野坂茜音ちゃんが舜にとってどんな気持ちを持った存在なのかは見極めさせてもらうよ」

 俺は深く息を吐いた。
 野坂さんが俺にどんな気持ちをって……。
 まだ――、『友達』に戻れてすらいないのに。

「タケル、彼女はなかなか手強くてなびかないんだ。まだ、全然だよ。ただの一度もデートすら出来ない」
「ぷっ、ハハハハッ。……やべえ、舜。すっげえ面白い。純情だなあ、バツイチのくせに」

 タケルはバシバシッと俺の背中を強く叩いて笑いからかう。

「俺、茜音ちゃんに早く会いたくなっちゃった。あ〜茜音ちゃんに会うのが楽しみだな〜。俺のことは舜と違って覚えているかな」
「……なんか腹が立つな、お前」
「うんうん、楽しみだな」

 俺はざわざわとした胸の泡立つような感覚がした。

 窓の外は思いもかけず天気雨が降り出していた。太陽の光の中に注ぐ雨は煌めき輝いて美しかった。
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