「大好き♡先輩、お疲れ様です♡」溺愛💕隣りのわんこ系男子!
第23話 城ヶ崎君視点「先輩、今日も可愛いですね♡」10
旅先での朝は高揚感に包まれていて、僕はいつもよりだんぜん早起きになる。
今朝はとくに――。
僕が胸に抱きまくらのように抱えてるのは、大好きな野坂先輩なんだ。
規則的にする恋しい人の寝息は、僕を幸せな気持ちにさせる。
それだけで満ち足りてる。
余計な妄想や欲をかかなければ……。
少しずれて近づけば、いつでも先輩の唇に口づけられる。
うーん。
この極上の時間を手放したくはないが、そろそろ先輩を起こさないと僕の部屋にお泊りしたことが知られたくない誰かに知られてしまうかも知れない。
「先輩、おはよう。起きて?」
「……う〜ん」
寝かせておいてあげたいけれど、今日は心を鬼にして起こさなくては。
身じろいで先輩の甘い花の香りが立つ。
ちょっとちょっと、……先輩今から襲っていいですか?
「先輩……、今日もマシマシで可愛いですね」
このチャンスを逃したらまたもや先輩は通常モードになって、僕と距離を開けるんだろう。
僕は『ちょっと親しい後輩』という囲われた枠から抜け出すことなく。
野坂先輩、これから僕が襲っても文句言えない状況ですよね?
酔っていたとは言え先輩の方から迫《せま》ってきたようなもんですよ?
もう、めちゃくちゃ可愛い誘惑でしたからね。
健康な男子ですから魅力的で蠱惑的な場面において、好きで好きで大好きな先輩と一つの布団で寝ていて、なにもしないとかありえないんですけど。
……すいません、抱きしめてキスはしてしまいましたが。
僕の理性、よく保ったな。
「茜音さん、十秒以内に起きないと襲いますよ?」
「あ、茜音さん? 茜音さんって呼ぶのは誰?」
「フッフッフッ。先輩、おはよう。おーい、先ぱ〜い? 起きましたね?」
「い、い、いやあぁぁぁ――っ! な、ななな、なんで城ヶ崎君がっ!? いっ、一緒のお布団に?」
野坂先輩は飛び起きて掛け布団をまとわせ部屋のすみっこに移動した。
「ぷっ、ははははっ! もう朝ですからね、先輩は部屋に戻らないと今田主任に勘ぐられてしまいますよ? ……おーい、先輩。そんな警戒しなくても大丈夫です。時間がないのに襲いませんよ」
「襲わないのが時間がないってことだけなの?」
「そうですよ。それとも手早くちゃちゃっと襲いましょうか? 嘘です、嫌です。先輩とそういうことをするのはじっくりたっぷり時間をかけたいので」
「……城ヶ崎君のえっち」
僕はちょっとイジワルをしたくなった。
すみっこで猛烈警戒中の先輩の布団をはがして、ぎゅっと抱きしめた。
「あのですね、そもそも昨夜《ゆうべ》一緒にいたいって最後までごねたのは先輩ですからね? 襲いたいのに我慢して寝不足なんです。なんかご褒美ください」
「わ、わ、わた私がごねたの?」
「はい。もっと僕と一緒にいたいって」
あー、この調子じゃ先輩がどこからどこまで憶えていてくれてるのか怪しいもんだな。
「そうだ、一緒に朝風呂行きませんか?」
「あ、朝風呂〜っ!?」
「ぷっ、ははは。もぉーだめですよ? 先輩、なにかいけないやらしい妄想しましたよね? ここの旅館は混浴風呂はありませんよ」
「城ヶ崎君、からかって〜! めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど。……城ヶ崎君教えて。知りたいの」
「なにをですか? 僕と先輩が抱きしめあって寝たこと? 何度も……一晩中キスしたこと?」
「一晩中キスぅっ!?」
「一晩中、は言い過ぎました。でも二人でたくさんキスしましたよ」
「……ううっ、憶えてない。ごめんね。……それに私たちどんな会話とかして夜を過ごしたの? なんかすっごく楽しかった気がする」
いいよ、先輩。焦って今は思い出しても思い出さなくっても。
社員旅行で先輩と一つの布団で寝たりした幸せな時間は、ひとまず僕がしっかり憶えていますから。
「楽しかったなら良かった。……ふふっ、思い出せたら良いね、先輩」
僕は先輩の耳元に囁きかける。
先輩はくすがったがりだから、耳にこうされると弱いのを知ってる。
「きゃっ、くすぐったいよ。……城ヶ崎君、なんかイジワル」
「素敵でロマンチックな二人っきりの特別な一夜を憶えてない先輩もイジワルですよ。僕とあんなことやこんなことをしたいって言ってたくせに」
「うそっ、嘘でしょ!」
「はい、嘘で〜す」
僕は抱きしめていた先輩を離して立ち上がる。
そしてきょとんとしている先輩に手を差し伸べた。
「急ぎましょう? 僕は朝風呂に行きますけど、先輩は部屋に戻ったほうが良いですね。今田主任にメールしときました。主任、起きてますから」
「あ、ありがとう。ごめんね、私の方が先輩なのに城ヶ崎君に頼ってばかり……」
握られた手をひっばり上げ先輩を立たせると、先輩が僕の胸に寄り添う形になる。
僕から離れたりしない、野坂先輩の顔に寂しそうな表情が浮かぶ。
「僕は先輩に頼られると嬉しいです。それにさ、これまで何度先輩が僕を助けてくれたと思ってるんですか? ちょっとはお返ししないと」
「ありがとう。……城ヶ崎君、……あのね、今日は鎌倉に行くでしょ? 一緒に回らない?」
「ええ、ぜひ」
紳士のふりをする。
今すぐにでも先輩をこの布団の上に押し倒してしまいたい欲望は、まだ燻っているけれど。
恋愛で傷ついてきた野坂先輩に無理強いはいけない。
男がこれ以上怖くなったら、先輩のトラウマを増やしてしまうだろう。
「私も今田主任と朝風呂に入ろうかな」
「……僕、妄想しちゃいそうです」
「最近さり気なくえっちだよね、城ヶ崎君って」
「あのっ、それって完っ璧に野坂先輩のせいですよ。あと、僕は先輩の前でだけですから。はいはい、もう自分の部屋に戻ってくださいね。……それから先輩に注意事項です! 風呂上がりの色気は他の男性社員に隠すように」
僕は桜色に染まる先輩の頬にキスをする。
先輩は知っているんだろうか。
いま、どんな顔をしてるのかって。
甘えたような表情――、溶けて、蕩けて。
先輩のその可愛い顔、きゅんとしてしまう。
きゅうぅんと疼く胸の奥、衝動を抑え込むのが大変なんだ。
自分の悪魔な男の部分《かんじょう》が恨めしくなる。
傷つけてまで抱いてはいけない。
勢いと感情のままの衝動に任せることが悪い時もある。
大事な人――、大切な想いと思い出をぶち壊したら後悔する。
「大好きです、先輩。……もう部屋に帰りましょうね」
「うん……。ありがとう、城ヶ崎君。……私、私も城ヶ崎君のこと」
「その続きは今は聞かないことにします。先輩、今度ゆっくり聞かせて?」
野坂先輩を部屋まで送り届けると、ドアの前で待って心配していた今田主任がひたすら謝っていた。
僕はちょっとイケナイことをしたような、悪いことをしたような気持ちになる。
キスと抱擁以外、他には野坂先輩にはなにも出来なかったのに。
はあ〜。
大の大人が、同じ布団で一夜を明かした男女がこれでいいのか。
……いいや、いいに決まってるだろう。
野坂先輩の気持ちに整理がついて僕と恋人になる心の準備が出来るまでは、絶対に我慢しようって堅く心に決めたんだから。
🌼♨
「ふ〜ん。番犬君は一人で温泉かあ。茜音ちゃんは? 一緒じゃなかったの?」
「和久井さん、僕を待ち伏せですか? お暇そうですね。それとも見せかけで常盤社長の隠密ですか」
大浴場の暖簾をくぐると広い休憩場所の扇風機の前で優雅に珈琲を飲む和久井さんがいた。
見たトコもう風呂に入ったあとのようだ。
「ぷぷっ、隠密ってさ。まあ、どっちかっていうと俺は舜の母親のスパイなんだけどね」
「そっちはそっちでごちゃついて大変そうですね」
「城ヶ崎君さ、茜音ちゃんともしかして朝まで一緒だった? 茜音ちゃんを泣かすのは許さねえよ?」
「なんで貴男にそんな事言われないといけないんですかね。僕は野坂先輩を大事に思ってるんだ。泣かすようなことすっかよ。朝まで一緒とか……ノーコメントです」
和久井さんはにやにやと笑った。
僕と和久井さんの他には脱衣所には誰もいないが、あまり噂になりそうな言動は控えたい。
「日本のおもてなし文化の行き届いた高級旅館は快適だねえ。寛いでると色々喋っちゃいそうだ」
「誰が聞いてるか分からない場所で根掘り葉掘り聞かれるのは困るんですけど?」
「ぶっちゃけ勝算はあんの? 舜や俺をおしのけて茜音ちゃんの恋人に、それからゆくゆくは結婚して誠実で甲斐性のある夫になる覚悟はあるのかな?」
「そうゆうの。僕としてはどうかと思いますよ? 恋愛も結婚とか勝負じゃないんだ。野坂先輩の気持ちが大事です」
和久井さんは僕に瓶のご当地ラムネを渡してきた。
にやりと大人の余裕のある笑みを見せてくる。
受け取るか躊躇したが、貰わないのもかえって子供の対応な気がした。
「ありがとうございます」
「いえいえ。しっかし番犬君は甘いねえ。茜音ちゃんは男慣れしてないし、恋愛経験が浅いとみた。彼女ってぐいぐい迫ればクラッと堕ちると思うんだよね。……お手並み拝見といくか。いや、俺もそろそろ本気を出して茜音ちゃんを口説きに入るかな。あのねえ、俺はずっと舜の横で我慢してきたわけよ。遠慮して、欲しい女を諦めてきた。でも、野坂茜音は俺が手に入れる」
「僕は野坂先輩を誰にも渡すつもりはありません。渡しませんよ、その相手がイケメンの上司だろうがハイスペックな社長だろうが」
はははっと和久井さんは豪快に笑った。
和久井さんがすくっと立つと鍛えて均整のとれた体が挑戦的に僕の目の前で威嚇しているかのようだ。
「舜、温泉旅行来れなくって残念がってたな。茜音ちゃんと距離詰めたがってたからね」
「どう距離を詰めるのか知りませんけど、野坂先輩は常盤社長のプロボーズを断りましたよね?」
「舜が一度で諦めっかよ。逆に燃えてんじゃねえかな。何度失敗したって結局は自分の手中に欲しい物を手に入れてきた男は自信家で諦めない。結構しつこいよ? 誰もがアイツの魅力にいつの間にかはまっちゃうんだから。女でも男でも、横にいたら惚れちゃう力強さと不思議な魅力があるんだよな」
僕はだからってどうとも思わなかった。
さっきまで胸の中に抱きしめていた野坂先輩が、甘い言葉やプレゼントをぶら下げられてもほいほいと僕以外の他の男になびくとは思っていないから。
それは自信というより、感じる愛情。
付き合っていなくても交わしてきた口づけの熱さと抱きしめあって交わした言葉は、僕に先輩を待って信じる力をくれている。
僕を好きだと、――先輩は言ってくれた。
僕ともっと一緒にいたいと、先輩はせつなそうに僕を見つめていた。
あの瞬間瞬間が、僕の心に積もっていく、想いが募っていく。
「僕も本気ですから。誰が来ようが、野坂先輩の一番好きな男になりますよ」
「楽しみだ。じゃあ、宣戦布告ってことで。ああ、仕事では協力しような。俺は期間限定だけど茜音ちゃんと君のチームに加わることになったから」
――最悪、だ。
強敵が領域《テリトリー》に踏み込んでくる。
恋敵《ライバル》が僕と野坂先輩のほんわかで優しい聖域に土足で荒らしに来る。
僕の解析では和久井タケルは、スキンシップ多めで口が達者で愛嬌とユーモアに溢れた大人な男。
常盤舜社長に続く要注意人物だ。
絶対に隙は見せない。
野坂先輩を奪われるわけにはいかないんだ。
こんなに好きな野坂先輩を他の男《ヤツ》に渡すほど、僕は馬鹿じゃない。
後悔はしたくない。
失くしたら、二度と野坂先輩みたいに好きになれる人はもう現れない。
そんなん、分かりきっている。
僕の大好きな野坂茜音は一人しかいないから。
代わりはどこにもいない。
生涯をかけて愛せる人を見つけてるのに、怖気づいたり臆病になってる暇はない。
「じゃあ、またな。一緒に仕事が出来るのは純粋に楽しみしてるよ、番犬君」
「臨むところです。和久井さんには負けませんよ。恋愛でも仕事でも受けて立ちます」
和久井さんはハハハと笑い、僕の肩を叩いてその場をあとにする。
勝負じゃないって言いながら、うっかり敵の仕掛けた勝負の戦場《いくさば》に上がってしまった気がする。
……でも、一番大事なのは野坂先輩の気持ちだって忘れちゃいけない。
僕は野坂先輩の笑顔が好きだ。
僕は先輩が心から笑ってくれたら、……めっちゃ嬉しい、それがすごく愛しい。
今朝はとくに――。
僕が胸に抱きまくらのように抱えてるのは、大好きな野坂先輩なんだ。
規則的にする恋しい人の寝息は、僕を幸せな気持ちにさせる。
それだけで満ち足りてる。
余計な妄想や欲をかかなければ……。
少しずれて近づけば、いつでも先輩の唇に口づけられる。
うーん。
この極上の時間を手放したくはないが、そろそろ先輩を起こさないと僕の部屋にお泊りしたことが知られたくない誰かに知られてしまうかも知れない。
「先輩、おはよう。起きて?」
「……う〜ん」
寝かせておいてあげたいけれど、今日は心を鬼にして起こさなくては。
身じろいで先輩の甘い花の香りが立つ。
ちょっとちょっと、……先輩今から襲っていいですか?
「先輩……、今日もマシマシで可愛いですね」
このチャンスを逃したらまたもや先輩は通常モードになって、僕と距離を開けるんだろう。
僕は『ちょっと親しい後輩』という囲われた枠から抜け出すことなく。
野坂先輩、これから僕が襲っても文句言えない状況ですよね?
酔っていたとは言え先輩の方から迫《せま》ってきたようなもんですよ?
もう、めちゃくちゃ可愛い誘惑でしたからね。
健康な男子ですから魅力的で蠱惑的な場面において、好きで好きで大好きな先輩と一つの布団で寝ていて、なにもしないとかありえないんですけど。
……すいません、抱きしめてキスはしてしまいましたが。
僕の理性、よく保ったな。
「茜音さん、十秒以内に起きないと襲いますよ?」
「あ、茜音さん? 茜音さんって呼ぶのは誰?」
「フッフッフッ。先輩、おはよう。おーい、先ぱ〜い? 起きましたね?」
「い、い、いやあぁぁぁ――っ! な、ななな、なんで城ヶ崎君がっ!? いっ、一緒のお布団に?」
野坂先輩は飛び起きて掛け布団をまとわせ部屋のすみっこに移動した。
「ぷっ、ははははっ! もう朝ですからね、先輩は部屋に戻らないと今田主任に勘ぐられてしまいますよ? ……おーい、先輩。そんな警戒しなくても大丈夫です。時間がないのに襲いませんよ」
「襲わないのが時間がないってことだけなの?」
「そうですよ。それとも手早くちゃちゃっと襲いましょうか? 嘘です、嫌です。先輩とそういうことをするのはじっくりたっぷり時間をかけたいので」
「……城ヶ崎君のえっち」
僕はちょっとイジワルをしたくなった。
すみっこで猛烈警戒中の先輩の布団をはがして、ぎゅっと抱きしめた。
「あのですね、そもそも昨夜《ゆうべ》一緒にいたいって最後までごねたのは先輩ですからね? 襲いたいのに我慢して寝不足なんです。なんかご褒美ください」
「わ、わ、わた私がごねたの?」
「はい。もっと僕と一緒にいたいって」
あー、この調子じゃ先輩がどこからどこまで憶えていてくれてるのか怪しいもんだな。
「そうだ、一緒に朝風呂行きませんか?」
「あ、朝風呂〜っ!?」
「ぷっ、ははは。もぉーだめですよ? 先輩、なにかいけないやらしい妄想しましたよね? ここの旅館は混浴風呂はありませんよ」
「城ヶ崎君、からかって〜! めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど。……城ヶ崎君教えて。知りたいの」
「なにをですか? 僕と先輩が抱きしめあって寝たこと? 何度も……一晩中キスしたこと?」
「一晩中キスぅっ!?」
「一晩中、は言い過ぎました。でも二人でたくさんキスしましたよ」
「……ううっ、憶えてない。ごめんね。……それに私たちどんな会話とかして夜を過ごしたの? なんかすっごく楽しかった気がする」
いいよ、先輩。焦って今は思い出しても思い出さなくっても。
社員旅行で先輩と一つの布団で寝たりした幸せな時間は、ひとまず僕がしっかり憶えていますから。
「楽しかったなら良かった。……ふふっ、思い出せたら良いね、先輩」
僕は先輩の耳元に囁きかける。
先輩はくすがったがりだから、耳にこうされると弱いのを知ってる。
「きゃっ、くすぐったいよ。……城ヶ崎君、なんかイジワル」
「素敵でロマンチックな二人っきりの特別な一夜を憶えてない先輩もイジワルですよ。僕とあんなことやこんなことをしたいって言ってたくせに」
「うそっ、嘘でしょ!」
「はい、嘘で〜す」
僕は抱きしめていた先輩を離して立ち上がる。
そしてきょとんとしている先輩に手を差し伸べた。
「急ぎましょう? 僕は朝風呂に行きますけど、先輩は部屋に戻ったほうが良いですね。今田主任にメールしときました。主任、起きてますから」
「あ、ありがとう。ごめんね、私の方が先輩なのに城ヶ崎君に頼ってばかり……」
握られた手をひっばり上げ先輩を立たせると、先輩が僕の胸に寄り添う形になる。
僕から離れたりしない、野坂先輩の顔に寂しそうな表情が浮かぶ。
「僕は先輩に頼られると嬉しいです。それにさ、これまで何度先輩が僕を助けてくれたと思ってるんですか? ちょっとはお返ししないと」
「ありがとう。……城ヶ崎君、……あのね、今日は鎌倉に行くでしょ? 一緒に回らない?」
「ええ、ぜひ」
紳士のふりをする。
今すぐにでも先輩をこの布団の上に押し倒してしまいたい欲望は、まだ燻っているけれど。
恋愛で傷ついてきた野坂先輩に無理強いはいけない。
男がこれ以上怖くなったら、先輩のトラウマを増やしてしまうだろう。
「私も今田主任と朝風呂に入ろうかな」
「……僕、妄想しちゃいそうです」
「最近さり気なくえっちだよね、城ヶ崎君って」
「あのっ、それって完っ璧に野坂先輩のせいですよ。あと、僕は先輩の前でだけですから。はいはい、もう自分の部屋に戻ってくださいね。……それから先輩に注意事項です! 風呂上がりの色気は他の男性社員に隠すように」
僕は桜色に染まる先輩の頬にキスをする。
先輩は知っているんだろうか。
いま、どんな顔をしてるのかって。
甘えたような表情――、溶けて、蕩けて。
先輩のその可愛い顔、きゅんとしてしまう。
きゅうぅんと疼く胸の奥、衝動を抑え込むのが大変なんだ。
自分の悪魔な男の部分《かんじょう》が恨めしくなる。
傷つけてまで抱いてはいけない。
勢いと感情のままの衝動に任せることが悪い時もある。
大事な人――、大切な想いと思い出をぶち壊したら後悔する。
「大好きです、先輩。……もう部屋に帰りましょうね」
「うん……。ありがとう、城ヶ崎君。……私、私も城ヶ崎君のこと」
「その続きは今は聞かないことにします。先輩、今度ゆっくり聞かせて?」
野坂先輩を部屋まで送り届けると、ドアの前で待って心配していた今田主任がひたすら謝っていた。
僕はちょっとイケナイことをしたような、悪いことをしたような気持ちになる。
キスと抱擁以外、他には野坂先輩にはなにも出来なかったのに。
はあ〜。
大の大人が、同じ布団で一夜を明かした男女がこれでいいのか。
……いいや、いいに決まってるだろう。
野坂先輩の気持ちに整理がついて僕と恋人になる心の準備が出来るまでは、絶対に我慢しようって堅く心に決めたんだから。
🌼♨
「ふ〜ん。番犬君は一人で温泉かあ。茜音ちゃんは? 一緒じゃなかったの?」
「和久井さん、僕を待ち伏せですか? お暇そうですね。それとも見せかけで常盤社長の隠密ですか」
大浴場の暖簾をくぐると広い休憩場所の扇風機の前で優雅に珈琲を飲む和久井さんがいた。
見たトコもう風呂に入ったあとのようだ。
「ぷぷっ、隠密ってさ。まあ、どっちかっていうと俺は舜の母親のスパイなんだけどね」
「そっちはそっちでごちゃついて大変そうですね」
「城ヶ崎君さ、茜音ちゃんともしかして朝まで一緒だった? 茜音ちゃんを泣かすのは許さねえよ?」
「なんで貴男にそんな事言われないといけないんですかね。僕は野坂先輩を大事に思ってるんだ。泣かすようなことすっかよ。朝まで一緒とか……ノーコメントです」
和久井さんはにやにやと笑った。
僕と和久井さんの他には脱衣所には誰もいないが、あまり噂になりそうな言動は控えたい。
「日本のおもてなし文化の行き届いた高級旅館は快適だねえ。寛いでると色々喋っちゃいそうだ」
「誰が聞いてるか分からない場所で根掘り葉掘り聞かれるのは困るんですけど?」
「ぶっちゃけ勝算はあんの? 舜や俺をおしのけて茜音ちゃんの恋人に、それからゆくゆくは結婚して誠実で甲斐性のある夫になる覚悟はあるのかな?」
「そうゆうの。僕としてはどうかと思いますよ? 恋愛も結婚とか勝負じゃないんだ。野坂先輩の気持ちが大事です」
和久井さんは僕に瓶のご当地ラムネを渡してきた。
にやりと大人の余裕のある笑みを見せてくる。
受け取るか躊躇したが、貰わないのもかえって子供の対応な気がした。
「ありがとうございます」
「いえいえ。しっかし番犬君は甘いねえ。茜音ちゃんは男慣れしてないし、恋愛経験が浅いとみた。彼女ってぐいぐい迫ればクラッと堕ちると思うんだよね。……お手並み拝見といくか。いや、俺もそろそろ本気を出して茜音ちゃんを口説きに入るかな。あのねえ、俺はずっと舜の横で我慢してきたわけよ。遠慮して、欲しい女を諦めてきた。でも、野坂茜音は俺が手に入れる」
「僕は野坂先輩を誰にも渡すつもりはありません。渡しませんよ、その相手がイケメンの上司だろうがハイスペックな社長だろうが」
はははっと和久井さんは豪快に笑った。
和久井さんがすくっと立つと鍛えて均整のとれた体が挑戦的に僕の目の前で威嚇しているかのようだ。
「舜、温泉旅行来れなくって残念がってたな。茜音ちゃんと距離詰めたがってたからね」
「どう距離を詰めるのか知りませんけど、野坂先輩は常盤社長のプロボーズを断りましたよね?」
「舜が一度で諦めっかよ。逆に燃えてんじゃねえかな。何度失敗したって結局は自分の手中に欲しい物を手に入れてきた男は自信家で諦めない。結構しつこいよ? 誰もがアイツの魅力にいつの間にかはまっちゃうんだから。女でも男でも、横にいたら惚れちゃう力強さと不思議な魅力があるんだよな」
僕はだからってどうとも思わなかった。
さっきまで胸の中に抱きしめていた野坂先輩が、甘い言葉やプレゼントをぶら下げられてもほいほいと僕以外の他の男になびくとは思っていないから。
それは自信というより、感じる愛情。
付き合っていなくても交わしてきた口づけの熱さと抱きしめあって交わした言葉は、僕に先輩を待って信じる力をくれている。
僕を好きだと、――先輩は言ってくれた。
僕ともっと一緒にいたいと、先輩はせつなそうに僕を見つめていた。
あの瞬間瞬間が、僕の心に積もっていく、想いが募っていく。
「僕も本気ですから。誰が来ようが、野坂先輩の一番好きな男になりますよ」
「楽しみだ。じゃあ、宣戦布告ってことで。ああ、仕事では協力しような。俺は期間限定だけど茜音ちゃんと君のチームに加わることになったから」
――最悪、だ。
強敵が領域《テリトリー》に踏み込んでくる。
恋敵《ライバル》が僕と野坂先輩のほんわかで優しい聖域に土足で荒らしに来る。
僕の解析では和久井タケルは、スキンシップ多めで口が達者で愛嬌とユーモアに溢れた大人な男。
常盤舜社長に続く要注意人物だ。
絶対に隙は見せない。
野坂先輩を奪われるわけにはいかないんだ。
こんなに好きな野坂先輩を他の男《ヤツ》に渡すほど、僕は馬鹿じゃない。
後悔はしたくない。
失くしたら、二度と野坂先輩みたいに好きになれる人はもう現れない。
そんなん、分かりきっている。
僕の大好きな野坂茜音は一人しかいないから。
代わりはどこにもいない。
生涯をかけて愛せる人を見つけてるのに、怖気づいたり臆病になってる暇はない。
「じゃあ、またな。一緒に仕事が出来るのは純粋に楽しみしてるよ、番犬君」
「臨むところです。和久井さんには負けませんよ。恋愛でも仕事でも受けて立ちます」
和久井さんはハハハと笑い、僕の肩を叩いてその場をあとにする。
勝負じゃないって言いながら、うっかり敵の仕掛けた勝負の戦場《いくさば》に上がってしまった気がする。
……でも、一番大事なのは野坂先輩の気持ちだって忘れちゃいけない。
僕は野坂先輩の笑顔が好きだ。
僕は先輩が心から笑ってくれたら、……めっちゃ嬉しい、それがすごく愛しい。