月へとのばす指
お礼を返した声は、我ながら硬い。なぜもっと自然に言えないのか。これでは本当に、初恋に戸惑っている中学生や高校生と変わらない。
じゃあお先に失礼します、と向かいの席に戻った唯花は、いつの間にか食べ終えていたらしいお盆を両手で持ち、去っていった。その後ろ姿を、ついじぃっと見つめてしまう。払いきれない未練を抱えながら。
「藤城さん、彼女が気になるんですか?」
「うわ、誰……って、なんだ。おまえか」
「悪い悪い」
横からいきなり声をかけてきたのは、久樹と同期入社の、太田克則だった。海外出向前は同じ営業二課にいて、国内向けの多岐にわたる品を売るため、日々奔走していた。学部は違うが大学も一緒で、その縁で同期の中では一番親しくしていたのだ。
帰国後は、久樹が会議漬けだったりするせいもあってあまり顔を合わせておらず、数週間ぶりの再会だった。
「おまえ、いつからそこにいたの」
「最初からだよ。そっちが弁当持ってきた時から」
「えっ」
「気づいてなかったのか? ぼんやりしてんなあ」
太田の呆れた声が、一瞬静かになった周囲にこだまする。数人の視線が集まり、久樹はいたたまれない心地になった。
言われた通り、最初から隣にいたのに気づかなかったのであれば、ぼんやりしているどころではない。会議漬けの日々は、自分の認識以上に神経を疲弊させているらしかった。
「……悪い」
「別にいいけどさ。大変そうだな、次長さんも」
気遣わしげに言われた後、「で」と太田は話題を切り替える。
「小耳には挟んでたけど、ほんとなのか。総務の館野さんに気があるってのは」
「────え」
「知らないのか。営業の中じゃけっこう広まってんぞ。俺も聞いたのは一昨日ぐらいだけどさ」
「誰に聞いた?」
「んな怖い顔すんなよ。えーと、米原だったかなあ」
一年後輩の営業部員の名前を、太田は口にする。奴も営業二課だったから共通の知り合いではある。……そして、記憶に間違いがなければ、弟の功貴の指導係をやっていた。
今朝の態度といい、噂の出所はおそらく功貴に違いない。
(なんなんだ、あいつ)
兄をからかうだけでなく、唯花に気があるような素振りまで見せるなんて。結婚間近の婚約者がいるくせに。
「まあ気持ちはわかるよ、美人だもんな。なのに気取ってないし。けど年上だぞ」
「知ってる」