月へとのばす指
どうせいずれは立場上、親が持ってきた話で結婚相手が決まるのだろうから。久樹にとってプライベートでの交際は、一時の暇つぶしに近いものだったのだ。
──だが。館野唯花とは。
彼女ともし付き合うならば、一時的な関係だけでいたいとは思わない。できるなら、真剣に……先の先まで考えた付き合いをしたい。
そんなことを思った自分に、久樹自身びっくりする。
自覚している以上に、唯花に惹かれる気持ちが強いということなのか──先の先とは、つまり、結婚という未来になるに違いないのだから。
「──そうなんだ」
「え、何だって?」
太田が不思議そうに尋ねたが、久樹は答えなかった。自分の思考をまとめることで頭がいっぱいだった。
自分でも今、気づいた。
自分は唯花と結婚したいのだ。
親が許してくれるか、親戚が良い顔をするか、そんなことは問題ではなかった。久樹が、彼女と、一生をともにしたいと思っているのだ。
まだ、唯花をろくに知らない、今の段階であっても。
いや、知らないからこそ、これから知りたい。彼女のことを何もかも、ひとつ残らず。
ガタン、と盛大に椅子を倒して立ち上がった久樹を、太田は当然ながら驚きの目で見やる。だが久樹の方には、相手や周りを気にするだけの余裕はなかった。
「おい、どうしたんだよ」という太田の声を背に駆け出す。食べかけの弁当のことはすでに頭になかった。食堂を飛び出し、ちょうど四階に止まっていたエレベーターに飛び乗り、プレートのボタンを押す。
十階に着くやいなやまた飛び出して、総務部の部屋を目指した。広い廊下は人少なで、【総務部】のプレートが付いた扉は難なく見つかる。
だが扉の前で突然、現実に立ち返った。勢
いのままにここまで来てしまったが、来てどうするか、という考えはまるでまとまっていなかったのだ。
……とにかく、唯花と話をしたい、と思ってしまった。
より正確に言うなら、今の気持ちを伝えたい、と。
しかしここは社内である。しかも日中、勤務時間のまっただ中だ。いきなり告白めいた真似をしたらどんな事態を招くか、想像できないわけではなかった。
当然ながらものすごい騒ぎになるだろうし、何より、彼女が非常に迷惑するに違いない。社長の息子とはいえ、いや、それ以前に、さほど親しくもない自分に告白をされて困らないわけがない。