月へとのばす指
だから相手が久樹だとわかった後も、若干の気まずさを感じはしたが、介抱しなければという思いで頭のほとんどは占められていた。熱中症は早いうち、症状が軽いうちの処置が大事でもあるからだ。
いくぶん楽になったらしい久樹が、唯花の態度を「女医さんか看護師さんみたい」と言ったのには驚いた。それも楽しそうに。そんなに自分は、支配的または命令口調だっただろうか……多少はそうだったことは否めない気がする。
そういうふうにしていたのは、久樹のことが心配だったからだ。体がつらくて動けずに座り込む、その苦しさはよくわかるし、久樹にはどこか、放っておけないと感じさせる弱い部分があるように思った。先日、社員食堂で相席した時と同じように。
彼は社長の長男、御曹司で、会社の跡取り候補だ。何もかも恵まれてはいるだろうけれど、その分、陰に日向に感じるプレッシャーも普通のレベルではないだろう。
会社で見かける久樹は、それによく耐えているようでありつつ、いつも疲れをにじませているように見えていた。当然だ、まだ二十六歳、普通の社員であれば若手の年齢なのだから。
だからなのか、唯花はいつも心配だった。彼のことが。
特別な想いを感じているわけではない。だが、一人っ子の唯花からすると、器用に見えて実のところ不器用そうな久樹は弟のように感じられて、だからこそ彼が負担に耐えている姿が気になってしまう。
それでつい、さっきも様子をしつこく見守ってしまった。自分の状況を半ば忘れて。
何故ここにいるのか、と尋ねられなかったのは幸運でしかない。あと少し一緒にいれば、必ず聞かれていただろう。今日は平日で、しかも始業時間はとっくに過ぎている時間帯なのだから。
なんとか今日はやり過ごした。けど、後日聞かれたらどうしよう。何か適当な言い訳を考えておかないと。
改札口から駅の外へ出て、唯花は、急ぐ足をさらに速めながら思った。
その日も朝から会議があり、終わったのはやはり昼近くになってからだった。
少し前から議題に上がっていた、外部の食品販売会社と傘下のスーパーとのコラボレーション企画がいよいよ動き出すため、具体的なコラボ商品やイベントの確認だけでもずいぶん時間がかかったのである。それが予想される会議の場合、いつもなら弁当の支給があるが、今日は普段使う店が臨時休業とのことで、支給されなかった。