月へとのばす指
視線をそちらにやると、光ったのは数人の中のひとり、ある女子社員の髪留めだった。そう認識した直後、自然に視界に入った相手の顔に目を奪われた。
ほぼ完璧に整った、それでいて派手さを感じさせない、美人である。ぱっちりとした大きな瞳とまっすぐな鼻筋の持ち主は、ほど良い厚みと色合いの唇の端を上げて、連れの女子社員の話に耳を傾けているようだった。つややかな肩までの黒髪の、サイドだけを髪留めで固定し、残りは後ろに流している。
清楚、という単語がぱっと頭に浮かんだ。そんな、普段どころか今までに一度も現実で使ったことがないような単語が浮かぶほど、彼女の印象はそれにふさわしかった。
す、とその時、彼女の視線がこちらに向けられる。
黒目がちな瞳とまともにぶつかり、なぜか息が止まる心地がした。だが彼女の反応はもっと顕著だった。
彼女は連れの、他の二人の女性に声をかけてこちらを向かせる。次いで三人そろって立ち止まり、頭を深々と下げた。副社長の存在に気づいてのことに違いない。ご苦労様です、と唱和する声がロビーに響く。
「ああ、そんなに固い挨拶はいいから。頭を上げなさい。
──こちら、社長のご長男で、藤城久樹くんだ。今日から営業二課の次長として赴任するから、よろしく頼むよ」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
三人を代表して彼女がそう言う。やわらかい口調の、なおかつ滑舌の良い、耳に心地良い声だった。
もう一礼して去ってゆく女子社員たち、否、彼女の後ろ姿を追うことをやめられず、側に副社長とその秘書がいることも忘れて、久樹は視線を向けたまま突っ立っていた。
「久樹くん?」
副社長の訝しげな声に、ようやく我に返る。
「……あ、すみません薗部のおじさん、いえ副社長」
見ると、副社長の薗部とその秘書は顔を見合わせ、次いで久樹を見て口角を上げた。どこか面白そうに。バツの悪い思いがわき上がってくるが、この際だと腹をくくり、質問を薗部に投げかける。
「あの、今の人たちは? ご存じの社員ですか」
「総務部の子たちだよ。今は中澤くんが部長だ。中澤くん、覚えているかい」
「もちろんです、入社した時の上司でしたから」
当時は営業一課の課長だった彼の、温厚そうな笑顔を思い出す。だがひとたび仕事となれば、冷徹なほどの鋭い分析と判断でもって、狙った仕事を確実に手中に収めていた。