月へとのばす指
交際の申し込みを、しかも会社でされるなんて。
彼にとって唯花は、数ヶ月前に出会ったばかりの女子社員でしかないはずなのに──あるいは、もしかしたら思い出したのだろうか。そうだとしても、今日の展開に納得できるかと言えばそうではないが。なにせ関わりが何もない。
ともあれ、申し込まれて唯花はひどく狼狽した。最初は、告白されているとは思わなかったぐらいに。だが唯花が思った以上に、久樹の目は真剣で、ごまかしを許さない色をしていた。
だから唯花も正直に答えた。付き合うことはできないと。
理由を言うべきかは迷った──誰とも付き合うつもりがない、と決めている理由を、言わずに理解してもらえるかどうかは不安で。けれどあまり言いたくないことでもあって。
迷っているうちに、昼休み終了のチャイムが鳴って、思わず逃げてしまった。傷ついた顔の久樹を休憩室に残して。
あの表情を思い返すと、少し胸が痛む。
もし、何もなければ自分は、彼となら付き合ってもいいかも、と考えたかもしれない。けれど結婚前提では……そこまでの責任を負うことのできない自分では、無理だ。
だからこそ唯花は決めたのだ。誰とも付き合わないと。
どれだけ申し訳ない気持ちになっても、相手に少しでも期待を持たせることはしないと。
……ぽたり、と洗面台に雫が落ちる。唯花の頬に、両目からあふれた涙が伝っていた。
どうして泣いているのか、自分でもわからなかった。