月へとのばす指

 そんな中澤が総務に行ったというのは意外な気もするが、会社としてはそんな彼だからこそという判断もあったのだろう。総務部はただ生ぬるく仕事していれば良いだけの部署ではない。

 そんなことを考えながら、彼女たちが去っていった方向をつい、また見つめてしまう。くすくすというかすかな笑い声に振り返ると、薗部の秘書である女性が口を押さえ、視線を床に落としていた。

 秘書に対し「君、静かになさい」といちおうは声をかけながらも、薗部もまた久樹を見て、先ほどと同じような笑みを浮かべた。……今の心境が筒抜け、という気がしてくる。

 そんなに、自分はわかりやすい反応を見せていたのだろうか。腹をくくったはずなのだが、今さらながら恥ずかしさがいやまさる。

「さっき挨拶してくれた子はね、総務の新人なんだ。といっても入ってから一年は経っているが……館野さんというんだよ。こういうことをおおっぴらに口にするとまずいかもしれないが、美人だったろう。入社した時は受付に配属する話もあったんだが、目立たない所がいいと本人の申請があって、内勤になったらしい」

 気になるのかね、と薗部の目が言っているように見える。自意識過剰だろうか。だが消えない彼の笑みを見ていると、そう思えて仕方がない。そんなふうに感じるのは、久樹自身が確かに、彼女を気にしているからでもあるのだ。

 薗部が言う通り、受付嬢として配属されるのが妥当だと思える、嫌味のない美人だ。彼女の微笑みで迎えられて嫌な気分になる社員や来客はいないだろう。
 入社一年ほど経っているということは、四大卒だとすれば二十三・四だろうか。それにしては大人びているように見えた。

 首から提げていたはずのネームプレートをよく見ていればよかった。そうすれば下の名前もわかったのに。薗部が知っているかどうかはわからないし、そこまで尋ねるのはいくらなんでもあからさまが過ぎるだろう。

「さて、そろそろ行こうか。社長もお待ちかねだ。あいつの遅刻癖は変わらないのかとおかんむりだったぞ」
「えっ、本当ですか」
「はは、今のは盛ってしまったな。怒ってはおられないが、呆れてはいらっしゃるようだ。君のせいでないことはわかっているのだが」

 なにせ今日を楽しみにしてらしたからな、と副社長は続ける。彼の、いかにも子供を見るような視線が面映ゆかった。
< 4 / 87 >

この作品をシェア

pagetop