月へとのばす指
両親や旧知の薗部にかかると、自分や弟妹はいつまで経っても子供扱いされてしまう。ある意味仕方のないことなのだが、それでも、そう扱われる居心地の悪さはいかんともしがたい。だから、忙しいのを口実にこの二年間、ほとんど実家には帰らなかった。社長である父親とも、アメリカ出張の際に会うだけだったから、実に半年ぶりなのである。
「わかりました。行きましょうか」
自ら仕事モードに切り替えて、久樹は言った。そう、ここは会社なのだ。しかも帰国後の初めての出社。上司である彼らの態度に心地悪くなったり、ましてや美人の女子社員に見とれている場合ではない。
急に背筋が伸びた久樹に目を見張りつつも、さすがの経験値と貫禄で「そうだな」と薗部もすぐ応じる。
「では社長室へ行こう」
と促した薗部の一歩後ろに秘書の女性、さらに後ろに久樹が並び、三人でエレベーターへと向かった。
総務部の扉を開けるやいなや、連れの二人は部屋の中へと駆け込んだ。
「ねえねえ、ちょっとちょっと!」
「すごいラッキー。いま下で、御曹司に会っちゃった」
「えっ、社長の長男!?」
電話番で残っていた先輩社員が、目を見張って半ば叫ぶように応じる。
「うわあいいなあ、今日当番じゃなきゃなー。で、どうだったの」
「アメリカ行く前に見たことないの?」
「あるけどさ、男ぶりが増してるとか、なんか変化」
「うんうん、なんか前よりシュッとした感じでさ。カッコ良くなってたよー。やっぱ外国で揉まれてくると違うよね」
「違うとこも揉まれてたんじゃない。あのルックスだし」
「ええー何言ってんのよあんた」
苦笑いの混ざる反応の後、きゃはははと三人はそろって笑った。そんな会話をしているのは、部長課長を含む男性社員がまだ一人も戻ってきていないからであろう。
彼女たちの会話からさりげなく遠ざかり、唯花は自分の席に戻る。鍵のかかる引き出しに入れておいた、履歴書を含めた個人情報書類のファイルを取り出した。
『藤城久樹 平成○○年五月十七日生』
履歴書の頭にはそう書かれている。すぐ右横に貼りつけられた証明写真は、やや緊張した面もちの、さっき見たばかりの顔が写っているものだ。
「今年で二十七歳か……ふーん」
誰にも聞こえないように、唯花はため息混じりの感想をもらす。