月へとのばす指
【6】
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「え、休み?」
「はい、そうですが」
出社してすぐ、久樹は総務部を訪ねていた。
言うまでもなく唯花と話をするためだったのだが、応対した別の女性社員に尋ねると、欠勤の連絡があったばかりだと言われたのである。
「どうして」
「風邪で熱が出たって話です。それ以上は聞いてません」
首を傾げながら相手は「館野さんに何の御用ですか」と、当然の疑問を投げかけてきた。
「え、あ──その」
唯花と話すことばかりを考えてやって来たから、こういう場合のやり取りを想定していなかった。数秒間必死に考え、久樹は答える。
「き、昨日の帰りに体調悪そうなのを見かけたから。大丈夫だったかと思って」
そうなんですか、と相手は首を傾げつつもうなずいた。
「ありがとう、わかったよ」
「いえ。では失礼します」
女性社員が背を向け、席に戻ってからも、久樹はその場に立ったまま考えていた。そのうち、ちらちらと総務課員たちの目が向けられているのに気づいて、慌てて部屋から廊下に出た。
後ろ手に扉を閉めた後、またその場に立ち止まり、考え込む──唯花が休んでいるのは、昨夜の出来事のせいではなかろうかと。
熱を出したという話が本当かどうかはわからない。
いや、彼女は昨夜、確かに具合が悪そうだった。久樹の部屋で休んで少しは回復したとしても、あんなふうに自分が激しく抱いてしまったから、不調がぶり返したのではないだろうか。
いくら、唯花への想いを抑えがたく感じたとしても、昨夜にあんな行為を求めるべきではなかった。何もせず同じ部屋にいることが苦痛だったのなら、久樹の方が部屋を出ていくべきだったのだ。
……気を遣ってやらなければならない時に、自分は気遣わなかった。それも、二重の意味で。
おまけに、昨夜限りだと宣言したにもかかわらず、それが耐えられなくなっている自分がいる。なんとも始末に負えない。
腕の中で、体の下で乱れ喘いだ唯花は、今までに付き合ったどの女よりも綺麗で可愛くて、愛おしく感じた。一夜きりで終わる関係には、どうしてもしたくなかった。
彼女だって、久樹に抱かれて嫌な思いはしなかったはずだ──でなければ、残していったメモに、礼など書かないだろう。
仮に、そう考えるのが自分の期待でしかなく、昨夜の出来事を忘れがたく思っているのが自分だけだとしても、とにかく唯花と、もう一度きちんと話をしたかった。それなのに。
彼女の欠勤は、もはやどう考えても久樹のせいにしか思えない。発熱が本当にせよ、別の理由があるにせよ、かなり体に負担をかけてしまったに違いなかった。
すぐにでも謝りたい──そう思ってから、愕然とした。
自分が、彼女の住所も連絡先もまったく知らないという事実に、今さら気づいたのだ。
話をしたくても謝りたくても、携帯の番号すら知らない。