月へとのばす指
『ほんとに気付いてないんだな、兄貴』
『どういう意味だよ』
『まあまあ。で、住所知りたいの、知りたくないの』
指の間にメモをちらつかせ、からかうように言う功貴からそのメモをひったくった。結婚祝い期待してるぞ、との一言を残して去っていく功貴に苦い顔をしつつ。
その日の午後、外回りの口実で外に出て、さっそくメモに書かれた住所に向かった。だがたどり着いたマンションの部屋のチャイムを二度鳴らしても、彼女は出てこなかった。
体調が悪いなら寝ているのかもしれないと思い、途中の店で買ってきた見舞いの品の袋に名刺を入れ、ドアノブに掛けておいた。去ってから、もう何度か呼び出した方が良かったかとも思ったが、長い時間あそこにいて怪しまれる方がまずかっただろうし、彼女が出てこないのなら他に何もやりようはない。
(功貴の奴、どうせなら携帯の番号とかも調べてくれりゃよかったのに)
そんなふうにも思った。然るべきルートと言ったぐらいだから、住所しか知らない相手だったわけでもなかろうに。
そういえば、と今さら思い出す。功貴が「気付いてない」と言っていたことを──いったい、何に久樹が気付いていないというのだろうか。
唯花の話の時にそう言ったのだから、彼女についてだとは思うが、見当もつかない。
自分が彼女を追い回している事実が社内で噂になっているであろうことなら、言われるまでもなく想像はつく。仮に、父が社長という身の上でなかったとしても、管理職の立場で他部署の女子社員を気にかけていれば、遅かれ早かれ周りに不思議がられ、不審に思われるのは当然だった。
だがそれ以外に何かあるというのだろうか?
いろいろ考えてはみるが、やはりまったくわからない。
わからないと言ったら、功貴はきっと、呆れたような目で久樹を見て、失笑するのだろう。そんなふうに反応されるかと思ったら、正直に弟に聞くのは癪だという思いが湧く。
とはいえ、それについて判明したところで、唯花の携帯番号などがわからない状態に変わりはない。功貴の言葉について考える作業は脇に追いやり、久樹は、次に彼女に接触するステップについて思案を始めた。
その機会は想定外に、そして案外に早くやってきた。