月へとのばす指
 悔やんでも悔やみきれない、どころではない。
 一番大切な女の命を縮めた自分を、一生呪って過ごしていくことになるだろう。助かったとしても、彼女に今後合わせる顔など無いに等しいが、それでも。
 二度と顔向けできなくとも、彼女が生きていてくれる方がいいに決まっている。
 組んだ両手を額に当て、久樹は心の底から祈った。思いつく限りの存在に、必死に願った。唯花を助けてほしいと。
 ──どのぐらい、時間が経った頃かはわからない。
 集中治療室の扉が開いた音に、顔を上げる。
 担当医師とおぼしき、白衣とマスクを着けた眼鏡の男性がこちらに近づいてくる。窓の向こうを見ると、先ほどまでの慌ただしさはないものの、看護師二人が医療機器の数値をチェックしている様子が見られた。
「ええと、あなたが付き添いの方ですか」
「そうです」
「失礼ですが、どういうご関係の方で?」
「──婚約者です」
 ほう、と医者は眼鏡の奥で目の色を和らげる。
「ならご存じでしょうね。発作は治まりましたが、まだ油断はできません。しばらく入院の必要があります」
「発作……」
 おうむ返しに口にした久樹の、頼りない口調に気づいたのか、医者の目つきが再び険しくなった。
「もしかして、患者の病気についてご存じないんですか」
「え、あ、その」
 知っている、とは当然言えなかった。そもそも彼女に持病があるなど、思ってもみなかったことだ。
 こちらを品定めするような医者の目は、疑いに満ちていた。本当に婚約者なのかと。
 意を決し、息を深く吸い込んでから口を開く。
「すみません、婚約者というのは嘘です。ですが彼女に求婚していました──けど断られました。自分は結婚しないと決めているからと、彼女はその一点張りで」
 正直に打ち明けると、医者は憮然とした表情を浮かべながらも、なるほどと言うようにうなずいた。
「ふむ、患者がそう言いましたか。それは無理もないかと。正直で誠実な女性なんですね」
「……どういうことなんですか」
 久樹の問いに、医師はしばらく首をひねって答えなかった。おそらく身内でない人間に説明すべきかどうか、迷っているのだろう。
 長く感じる数十秒が過ぎた後。
「まあ、いいでしょう。ただし他言は無用ですよ」
「わかりました」
 医師の念押しに、久樹ははっきりと応じる。
「患者の病気は、おそらく九割方、肥大型心筋症です」
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