月へとのばす指
「肥大型心筋症?」
聞き慣れない病名を、またおうむ返しに口にする。
医師の説明は次の通りだった。
この病気はほぼ、遺伝子変異によって引き起こされる。
心室の壁が厚くなって硬くなり、そのために十分な血液が心腔に流れ込まない。必然的に、全身に送り出される血液の量も少なくなる。心臓の弁が正常に閉じず逆流することもある。
症状は胸の痛み、息切れ、動悸、失神──
「不整脈が起こることもあります。場合によっては、それを引き金に突然死に至ります」
「と……!?」
「まず間違いなく、どこかの病院で経過観察を受けているはずですよ」
「経過観察……」
久樹の頭の中で何かが引っかかる。懸命に考えて、それが数ヶ月前の彼女との遭遇だったと思い至った。
駅で体調を崩した久樹を、唯花が介抱してくれた時。
なぜ彼女があの日、あの駅にいたのか。忙しさに取り紛れて聞く機会がなかったが、心の底ではずっと疑問だった。だが今なら想像ができる。
あの駅から十分ほど歩いた所にある、大きな総合病院。
唯花はそこで「経過観察」を受けていたのだろう。あの日はきっと、通院日だったのだ。
看護師になりたかった頃があった、と語った唯花。ならなかった理由を『ちょっと、事情が』と濁していた唯花。
夢をあきらめた理由はまず間違いなく、病気が発覚したからだろう──それほど前から、彼女は命の危険がある持病を抱えていたのだ。
「この病気は、五十パーセントの確率で遺伝すると言われています。患者があなたに、結婚できないと言ったのは、それを知っていたからではないでしょうか」
医者に言われるまでもなく、そうに違いないと思った。
看護師になりたかったほど医療に関心のある唯花なら、自分の病気についてきっと、調べられる限りは調べただろう。そして、遺伝する可能性を知った以上、自分は子供を産むべきではないと──だから結婚も交際もするべきではないと、考えたに違いなかった。
「聞いてらっしゃいますか? ……ええと」
「藤城です」
医者の困ったような問いに、名前を聞かれているのだと察し、久樹は名乗った。
「藤城さん、患者のご家族に連絡が取れますか。もしくは連絡先をご存じですか」
「いや、今すぐには……あ、父親同士が友人で、父が知っているはずなので聞いてみます」