月へとのばす指
だが、久樹にはいずれ、言わなければならなかったのだ。体のことを考えれば、結婚する気はないと断り続けるしかなかったのだから。けれど勇気が出せずにここまで来ていた。
きっと、驚いただろうと思う。その驚きも、その後に浮かぶに違いなかった表情も、できれば見たくなかったのだ。彼の前ではできるだけ、普通の女でいたかった。
同時にそれが、唯花のエゴでしかないことにも気づいていた。彼を傷つけたくなかったのではなく、自分が傷つきたくないから言わなかっただけなのだ。結婚も出産もあきらめなければならない身であることを、また言葉にしたくはなかったから。
大学時代の元彼は、勇気を出して打ち明けた唯花をなじった。嘘をついてだましたと言って。あの時感じたむなしさと悲しさは、今でも唯花の心の底に沈んでいる。
もし、久樹にもそんなふうになじられたら。
そうでなかったとしても、もし憐れまれたら。
……どちらにせよ、つらい。
なんて自分勝手なのだろうか。
言わなかったことで、結局、よけいに彼を傷つけたかもしれないのに。
次に彼に会う時、会わなければならない時、どんな顔をすればいいのだろう。
目を覚ましたその日一日は、唯花はそればかりを考えていた。
翌日。
起き上がれるようになった唯花が昼食を取っていると、看護師が「お見舞いですよ」と花籠を持ってきた。
籐で編まれた籠に、色とりどりのコスモスがアレンジメントされている。そういえばとサイドテーブルを見ると、そちらには三色のミニバラとかすみ草が飾られた籠が置かれていた。
「あの、これは誰から……」
「カードが付いていますよ」
と言われてコスモスの籠をのぞき込むと、確かに白い紙片が入っている。メッセージはなく、右隅に角張った、しかし丁寧に書いたと思われる字で「藤城」とだけ。
ミニバラの籠にも、同じカードがあった。
「花屋さんが毎日届けてくれてますよ、ふふ」
年輩の看護師は、優しげな目で唯花を見て言った。まるで年の離れた妹か後輩に対するかのように。
ほほえましい、というふうに思われているのだろうか。
何を想像されているか考えると、気恥ずかしくなる。
看護師と入れ替わりに母親が病室に入ってきた。今朝になって気づいたが、唯花が今いるのは病室は個室だった。それも上等と思われるレベルの。