月へとのばす指
副社長に伴われていた「社長の長男」は、若い頃の「藤城のおじさん」によく似た、背の高いイケメンになっていた。なおかつアメリカでの経験のせいか、静かだが確かな自信を漂わせ、年齢よりも落ち着いているように感じられた。
子供の頃の記憶が一気に上書きされ、一緒にいた他の女子社員とともに頭を下げつつも、唯花は胸の鼓動が速まっているのを自覚していた。
その時はただ、彼に好ましい印象を感じただけだと思っていた。面食いではないものの、唯花もカッコいい男性には普通にときめく女心があるし、自信のありそうな様子も社長の息子、会社の跡取り候補としては頼もしい要素だったから。
けれど久樹と実際に接するにつれ、彼が意外と不器用であるらしいことを知っていった。仕事に奮闘する姿は、かつて一生懸命、年上の唯花への対抗心と兄としての見栄で背伸びしていた久樹に重なり、微笑ましい気持ちを感じた。
そういう感情が積み重なっていって、弟に対するようなものだった久樹への想いが、異性に対するものに変化していったのだろうか。
もしくは、再会したあの時には、すでに異性として意識し始めていたのか──そうなのかもしれない、と今となっては思う。初めて見たに等しい男性に対して(厳密には初めてではないにせよ)、あれほどドキドキした経験はこれまでになかったから。
だから、久樹の弟の功貴に声をかけられ話している中で、『兄貴のことどう思ってる?』と聞かれた時、とっさに答えが出てこなかったのかもしれない。少し迷って『立派になられたと思います』と返した唯花を見る功貴の目は、どこか意味ありげであった。唯花自身も気づいていなかった本心を、察していたのだろうか。
ふたつの花籠を見つめて思いにふけっていると、「唯花」と母親に呼ばれた。
なに、と問い返そうと振り返って、主治医と看護師が病室へ入ってきたことに気づく。
「館野さん、調子はいかがですか」
主治医の質問に、看護師のバイタルチェックを受けながら唯花は答える。
「体のだるさはありますけど、胸の痛みとかはありません」
「そうですか」
短く応じた主治医が、唯花と母親の間で視線を往復させる。何か話があるのだと察した。
「お母さん、今お時間よろしいですか。娘さんとご一緒に聞いていただきたい話があるので」
予想通りそう言った、主治医のいくぶん固い声音に、母親は背筋を正して「はい、大丈夫です」と応じる。その表情からは先ほどまでの明るさが消えていた。
張り詰めた室内の空気に、これから告げられることをある程度予想して、唯花は身構える。
──話は十五分に満たなかったが、唯花と母親にとって、今後を決定づけられる内容には違いなかった。