月へとのばす指

 今ここで、言いたいことを言わなければ、おそらく二度とチャンスは来ない。そんな予感を、久樹は確かに感じていた。だが理由がわからない。

「──最後って、どういうこと」
「え?」
「さっき、親父が言ってた。君と話すのが最後になるかもしれないって。どういう意味?」
「それは、私が今日で退職するから、社長はそうおっしゃったのでは」
「それだけ?」

 重ねて問うと、唯花は口をつぐんだ。何かを迷うように視線を下にさまよわせる様子から、退職だけが理由ではないのだと察せられた……察せざるを得なかった。

 やがて、意を決したように視線を上げた唯花は、苦い笑みを浮かべて久樹を見た。

「今回、退院前に、お医者さんに言われました。
 次に同じような発作があったら、命の保証はできないって」

 漠然と予想していたことを確定されて、頭を殴られたような衝撃が襲う。ぐわんぐわんと、頭の中で彼女の言葉が反響する。
 ──命の保証はできない。

「だから、これ以上社長や、会社の人に迷惑はかけられないと思って、辞めることにしました。もう十分迷惑をかけてしまいましたけど」
「辞めて、どうするんだ」
「実家に戻ります。ここに入る前は、両親が経営してる会社を手伝っていました。そこでまた、事務手伝いをさせてもらいます」

 というかそうしろって父に怒られました、と唯花は自嘲するように笑う。
 聞いた彼女の実家は、ここから電車だと二時間半はかかるほど、離れた地域である。行こうと思って行けない場所ではない、が──

「俺のせいだろ、全部」

 久樹が喉から絞り出すように言うと、唯花は首を振った。

「いえ。もともと、病気がわかった時に『四十歳ぐらいまでかもしれない』って言われていましたから、覚悟はしてました」

 四十歳ぐらいまで。
 こともなげに自分の寿命を口にしながら、彼女はまた笑った。諦めの境地のような笑みに、久樹の方が泣きそうな心地になる。

 だから彼女は、誰とも結婚しない、誰とも付き合わないと決めたのか。女としての幸せを全部あきらめた人生を歩んでいこうと。

「……どうして、藤城さんが泣くんですか」

 不思議そうに唯花が尋ねた。
 はっとして頬に触れて、本当に涙が出てしまっていることに気づく。慌てて拭った。自分が泣いてどうするんだ、泣きたいのは唯花の方に違いないのに。
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