月へとのばす指
「高校生の時に病気がわかってから、ずっと、両親には心配をかけっぱなしで……でも一度、一人暮らしを経験してみたかった。おじさん──社長から事務員の募集の話を聞いた時に、今しかないと思って、両親に無理言いました。絶対に無茶なことはしないから、だめだと思ったらすぐに帰るからって」
ふふ、と寂しげに笑う唯花の様子に、胸を突かれる。
「俺が、無茶させたんだな──あの時」
「そうじゃないです、……あれは、私もわかってて、望んだことでしたから」
唯花の頬に朱が散った。それでも彼女は、こちらを真っ直ぐに見て、はっきりした声音で言った。
「あの時だけでも、私が、あなたのものになりたかった。
だから、なんです。後悔はしてません」
本当に後悔のない表情で、唯花は言い切る。
……自分は、どうしただろうか。彼女の病気をもし、先に知っていたなら。彼女が「いいから」と言ったとしても──彼女の寿命を縮めかねないことを、してしまっただろうか。
正直、久樹にはわからなかった。あの夜、唯花を心底から求めた気持ちは本当だった。あの感情を、病気の件を知っていたとしても果たして抑制できたかどうか、今となっては何とも言えない。
だが少なくとも、もっと気遣ってやることはできたかもしれない。ただの、気休めでしかなくとも。
考えてもしかたのない「たられば」を考えてしまうのは、そうやって少しでも、罪悪感を軽くしようとしているのかもしれなかった。どれだけ自分勝手なんだ、と久樹は自分に嫌悪感を覚えてしまう。
──それでも。
久樹のものになりたかった、だからあの夜抱かれたのだと、唯花は言ってくれた。初めて伝えられた彼女の想いに、胸がいっぱいになる。
だがそれも束の間の喜びだった。
「明日には、実家に戻る予定なんです。だから今日、藤城さんにも挨拶に伺うつもりでした」
お世話になりました、と深々と頭を下げる唯花に、思わず久樹は詰問する。
「だから、それどういうこと。最後って」
頭を上げた唯花は、淡く笑んで答えた。
「私、もうこちらには来る機会はないと思いますから。藤城さんともお会いできるのは、今日が最後になります。その方がいいんです」
「どうして!」
さっき、唯花は想いを伝えてくれたのではなかったのか。久樹を特別に想っていると──だから抱かれたのだと。